They say the good die young

才能のある人は早死すると聞いたことがある。誰かが作り出した話ではなくて、事実としてそうだったという。死に依って才能が証明されたのか、才能が死をもたらしたのか、死と才能の有無に因果関係があるように思える事実だが、実際はそうではない。才能のある人はまだ五万と生きているし、驚嘆せずとも死は必ず誰にでも訪れる。自分にも、聴き馴染みのあるアーティストにも。

2022年11月6日(日)の朝、あるアーティストが事故死したと各紙が報じた。そのアーティストは誰がどう見ても才能に溢れていて、その横溢を溢さんとばかりにメディアが常に彼に注目していた。彼は、有名になることで才能を証明したのではなく、溢れる才能が必然的に彼を有名にしたのだ。つまり、正真正銘の実力派である。自分の一挙手一投足に世界が追いかけてくる感覚は、誰しも憧れるが得難い感覚の一つだと思う。自分自身も彼に憧れる人々の内の一人だった。

彼の歌の歌詞にこんな歌詞がある。「They say the good die young. So
Imma live fucking life.(才能のある人は早く死ぬと言われている。だから俺はこのクソみたいな人生を生きる)」彼自身が才能のある人は早く死ぬと歌っていた場合、彼は死んだ時に何を思うのだろう。才能を有する証明になったとして歓喜するのだろうか。そんな定石を否定してより長い人生を望むのだろうか。

少し前までは歳をとるのが怖くて、死はある種の救いだと勘違いしていた。死は誰にでも訪れるものだと理解すると、その終わらせ方を考える段階に入る。衰弱していく老後を思うと、どのタイミングで死が訪れても衰弱した人生を避けることが出来たという意味で肯定されてしまう気がする。老後に希望はあるのだろうか。そんなことを考えていた。

それでも、一人では抱えきれない莫大な悲しみを、生前に関わっていた人の数だけ置いていったと考えると、やはり死は望まれるべきではない。では、誰かに悲しみを与えないために生きているのかというとそうではない。生きている内は、自分が悲しみ以外の何かを与えられる存在に立ち続けることができる。自分が幸福や喜びや楽しみを誰かに与えることができる。一人では生きていけないこの世界で、自分に何ができるかと考えた時に、生きている間は自分が他人にポジティブな感情を与える選択肢が常に存在している。無論、死んでいった人も悲しみだけでなく、それ以外の多くのことを与えてきた人だった訳だから。

才能のある彼だから、短い人生で多くの事を人々に影響させてきたと思う。才能があった事はもちろん、僕らに幸福を与え続けていたことを今いるどこかで誇っていて欲しい。不慮の事故によって望まないタイミングで生涯を終えた彼は、才能の有無に限らず人生でやり残したこともあったと思う。だから、今後の自分の人生において、彼に与えられてきた幸福を引き伸ばすように、才能によって作り出した曲を聴き続けようと思う。


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