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45分別?ゴミ捨ての考え方を変える「ゼロ・ウェイスト in上勝町」

SDGsという言葉を頻繁に聞くようになった昨今では、環境に優しい取り組みが注目されている。

そんな中、2020年5月に、国内初の「ゼロ・ウェイスト宣言」を発表した町である徳島県上勝町に「上勝町ゼロ・ウェイストセンター(WHY)」がオープンした。この施設は、廃棄物分別回収施設、住民のコミュニティ施設、体験型宿泊施設が一帯になっている。

そんな上勝町は、どのような取り組みをして、環境に優しいまちづくりを浸透させてきたのだろうか。

私の考え方が変わった上勝町の取り組みを、3年前の大学の実習での調査をもとに、明らかにする。

1.上勝町の概要

 上勝町は、県庁である徳島市から南西方向に40kmの、徳島県の中部に位置する町である。上勝町ホームページによると、2021年1月1日、人口1,616人、面積10,963㎢の小村である。人口の変動として、死者数に対して出生数が少ないため、減少傾向にあるが、一方で、移住者が年々増加しているので、人口は維持されている。高齢化率は約52%に達し、町内の多くの人が高齢者となる、少子・高齢化が依然として進んでいる。

上勝町では、つまものの販売を行う彩事業が盛んである。上勝町は、日本で初めてつまものを商品化した町で、今では全国の多くの飲食店へのシェアを誇っている。この彩事業が開始してから32年経つ現在では、年間売り上げ2.6億円に達するほど大きな事業へと成長した。

また、上勝町は、日本で初めてゼロ・ウェイスト宣言を行った町としても知られている。2020年までにゴミの発生をゼロにすることを目標に始まった政策で、2003年から行われている。ゼロ・ウェイストに向けた取り組みは、リユース、ゴミ処理方法、さらにはゴミに対する町民の意識の改革をもたらし、2016年には、この取り組みが評価され、環境大臣賞を受賞した。

上勝町の山々では、美しい6つの棚田が見られる。中でも、樫原の棚田は、1999年に、農林水産省より「日本の棚田百選」に認定された。樫原の棚田は、平均勾配が四分の一の急傾斜地に立地し、全国の棚田でも、最も厳しい耕作条件にある棚田の1つである。また、2010年には、文化庁より「重要文化的景観」に選定された。

2.ゼロ・ウェイストの歴史

ゼロ・ウェイストとは、1996年、オーストラリアのキャンベラで宣言された事業で、ゴミをそもそも出さないという考え方からなる政策である。上勝町では、2003年、日本で初めてゼロ・ウェイスト宣言を掲げ、2020年までにゴミの発生をゼロにする事を目標にしている。

 上勝町は、かつて野焼きが行われていた歴史がある。まずは、現在に至るまでの歴史を紹介する。

 さかのぼること50数年前の昭和40年代後半の上勝町では、温泉施設ができたり、正木ダムの工事が始まったりと、建設ラッシュの時代であった。また、県道の二車線化も計画されていたが、山に沿って曲がる道の拡幅は、山を削りながらの作業となる。これらの工事で発生する大量の残土を埋める場所として、現在のゴミステーションのある日比ヶ谷が選定された。総面積の85%が山林である上勝町は林業や製材業も盛んだった。ここから発生するおがくずや木の皮などは川に流され、下流域への有機物供給源ともなっていたが、ダムの完成によって行き場を失い、これらの製材くずも日比ヶ谷で処理されることになる。それを見ていた一部の住民が「自分たちもいいだろう」と、家庭での処理が困難な大型ごみなどを持ち込むようになった。やがて、自然発火か誰かが捨てた1本の煙草が原因か、真相は分からないが、火が付き、ゴミが燃え出した。それからこの場所は、当初の目的である残土処理場では済まず、様々なゴミが捨てられ、野焼きの現場となっていった。

 しかし、昭和45年に制定された「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」では、一般廃棄物の処理責任は市町村にあり、処理計画を立て、基準にもとづいた処理を行うこととされていたが、上勝町の財源には基準を満たすだけの整備を整える余裕はなく、やむを得ず野焼きを続けていた。その後、県からの再三の指導や埋立地の残容量不足に後を押される形で、平成5年より「リサイクルタウン計画」の策定に着手することになった。

その後、2020年までに上勝町のごみをゼロにすることを決意し、平成15年9月に日本で初となる「ゼロ・ウェイスト宣言」を行った。

3.上勝町のゼロ・ウェイスト運動

上勝町のゼロ・ウェイスト運動の特徴として3つあげられる。

1つ目は、町内をゴミ収集車が走らないことである。町民は、日比ヶ谷ごみステーションへ、生ごみ以外のごみを自分の都合のいい時間に、自分で持って行く。このゴミステーションでは、単なるごみの収集場としてではなく、1つのコミュニティの場として、町民同士の交流の場にもなっている。日比ヶ谷ゴミステーションを訪れた時には、実際に町民が自然に集まる様子や、交流の場となっている様子を見ることができる。

平成15年、日本で初めてのゼロ・ウェイスト宣言を行い、焼却・埋め立てゴミの削減に取り組んでいる上勝町。その拠点となる日比ヶ谷は、かつて、公然と野焼きが行われていた場所でもある。野焼きは、昭和50年前後から平成9年まで、20年以上にわたり続いた。現在のゴミ政策は、この時代を経て成り立っている。

2つ目は、生ごみの自己処理である。生ごみの処理は、家庭用のごみ処理機で処理を行う。自宅での処理のメリットとして、新鮮なうちに処理ができる、生ごみの臭いに悩まなくて済むなど、住民にとってのメリットも挙げられ、焼却費用の削減、堆肥の利用先の確保が不要など、行政にとってのメリットも挙げられる。この家庭用のごみ処理機は、購入にあたり町からの補助金もある為、町民も購入しやすくなっている。

3つ目は、ゴミの細かな分別方法である。その分別は、13種類45分別となっており、ごみをさらなる資源として再利用できるようにされている。また、資源として使う為、例えばプラスチックの分別は、洗ったきれいなものと、汚いものに分けられていたり、トイレットペーパーの芯も、リサイクル方法が違う為、硬いものと、柔らかいもので分けられていたりなど、再利用に向けた分別がされていた。45分別となると、一見多すぎるように見えるが、分別をするメリットを町内全体で共有する取り組みがいくつか見られる。

ゴミステーションのごみ箱には、分別をしたことによるリサイクル料の表示や、分別したものがどこへ行き、何にリサイクルされるかが表示されている為、分別をすることに対してポジティブな要素が分かりやすくなっている。また、分別によってポイントカードでポイントを貯めることができ、商品がもらえるなど、定期的に分別を行うことができるようなシステムもある。

4.上勝町のリサイクル

上勝町のリサイクルの取り組みの特徴として、「くるくるショップ」というリサイクルショップがある。ここでは、町民がリサイクルとして使わなくなったものをここに持ち込んで、誰でも引き取ることができる場所となっている。ここでは、衣服類や食器などが多く、町民以外の人でも引き取りのみ利用できるようになっている。持ち込まれた衣服には、こいのぼりを再利用した衣服がいくつか見られた。これは、上勝町の子どもの日のイベントで使われたこいのぼりを再利用したものである。この「くるくるショップ」での平成28年度の実績としては、持ち込み量が約15,246トン、引き取り量が約15,045トンとなっており、上勝町のリサイクルに貢献しているといえる。また、最近では、業者とも提携しており、もし余ることがあっても、業者がリサイクルする為に、引き取る場合もある。

このようなリサイクル活動によって、上勝町のリサイクル率は高くなっている。日本のリサイクル率は20%となっているが、上勝町のリサイクル率は80%で、1人1日あたりのごみ総排出量が477gとなっている。また、リサイクルの高レベル化が75%、焼却・埋立量の削減が75トンと、まさにゴミの発生を可能な限り減らそうとする上勝町民の意識が数字に表れているといえる。
現在は、サスティナブルアカデミーの整備事業として、ゼロ・ウェイストの理念に沿った人材の確保・育成を行うため、その拠点としてサスティナブルアカデミーを創設し、住民と企業等との連携を図り、コミュニケーションを促進させ、循環型社会のモデルを目指している。また、世代交代や住民増加など、ポジティブな要素も増えている。

5.現在の上勝町

「2020年までにゴミをゼロにする」と始まったゼロ・ウェイスト宣言。現在の上勝町はどうなっているのだろうか。

「IDEA FOR GOOD」のインタビューで、上勝町ゼロ・ウェイストセンターを運営するBIG EYE COMPANYのCEOである大塚桃奈さんはこう語っている。

「上勝町が当初掲げていた2020年のゼロ・ウェイスト目標であるリサイクル率100%は達成できませんでした。その理由の一つは、高齢化に伴う使い捨ておむつや生理用品の使用の増加が挙げられます。また、使い捨てカイロや使い捨て塗料、化粧品、長靴などの塩化ビニール、お菓子に入っている乾燥剤、素材が複雑に混ざったカバンや靴など、リサイクル技術が確立されていないものやリサイクルにコストがかかるものがまだ多く存在すること理由です。消費者と生産者、双方にアプローチをする必要があると思います。」
【参考】

上勝町は、長い間ゼロ・ウェイスト運動を行ってきたが、当初の目標が達成できずとも、今後もその活動を続けていく前向きな姿勢が、2020年5月「上勝町ゼロ・ウェイストセンター(WHY)」オープンに現れている。

5.まとめ

1つの自治体の仕組みを変えるということは難しいことだ。例えば、このゼロ・ウェイスト運動に関しても、循環するシステムの仕組み、事業の将来性などについて、住民への理解を促さなければならないことは、特に難しい問題である。そして、上勝町で18年続いたこの経験は、今後の環境に取り組む自治体の理想のモデルとなるだろう。

また、現在までこの活動を継続し、過去にゴミの処理問題に苦しんでいた上勝町を、魅力的なゴミの処理方法で注目を浴びる地域にまで成長させた上勝町民や、この活動に携わり続けた人々の経験は、今後、さらなる発展を目指す上勝町にとっても明確な目標が生まれただろう。

さらに、この活動を知ったことによって、私自身の生活でのゴミに対する意識も変わるだろう。今までゴミだと考えていたものを、再び素材として使うという意識を持てば、上勝町の活動と同じように、効率的なリユース方法が見つかると思う。この活動を、多くの人が知ることができれば、各個人からごみ処理に対しての意識が、変わっていくだろうと感じた。

この取り組みが広がれば、より多くの人の考え方が変わるだろう。

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