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「新渡戸講座」のご紹介

このページは、岩手県が生んだ偉人「新渡戸稲造」についてご紹介する「新渡戸稲造ファンページ」です。

盛岡駅前の新渡戸稲造の像
(ページ上部の写真は、稲造出生の地である盛岡市内の開運橋から見た岩手山)

新渡戸稲造は、1984年から2004年にかけて五千円札の紙幣の「顔」で、それをきっかけに、改めて日本中に広くその功績が知られることとなりました。

現在の五千円札の「顔」である樋口一葉の前が新渡戸稲造です。五千円札の顔が新渡戸稲造ではなくなってから、既に約20年が経っています。もしかすると、新渡戸稲造について知らない方も多くなっているかもしれませんので、初めに、稲造について簡単なご紹介をします。

紹介文の内容は、「北海道大学 新渡戸カレッジ」のホームページの、新渡戸についての紹介ページから引用しています。 

「新渡戸稲造博士は文久2(1862)年8月8日(新暦9月1日)盛岡に生まれました。明治8年13歳の時、東京英語学校に入学。この頃から生涯の親友となる内村鑑三(キリスト教思想家)、宮部金吾(植物学者)らと親交を深めます。その後、父祖の志を継ぎ、農学を修めるため、明治10(1877)年、内村、宮部とともに、札幌農学校に入学しました。

東京大学に在籍後、米国のジョンズ・ホプキンス大学、ドイツのボン大学、ベルリン大学、ハレ大学の留学を経て、明治24(1891)年に札幌農学校の教授となります。明治27(1894)年には勤労青少年のための遠友夜学校(えんゆうやがっこう)を設立しました。日本初の農学博士となり、その後、法学博士の学位も得て、日米で教鞭をとっていました。

名著とされる『武士道』が書かれたのはこの頃です。大正9(1920)には国際連盟事務次長に就任し、国際間のかけ橋となる仕事をしました。」

 「北海道大学 新渡戸カレッジ」等については、詳しくは下のリンクからご覧ください。

盛岡市にある古本店「pono-books」では、2023年から、毎月1回程度、新渡戸基金理事長の藤井茂先生による、、新渡戸稲造について気軽に学ぶ「新渡戸講座」が開催されており、2024年にはセカンドシーズンを迎えました。

このページでは、その「新渡戸講座」の内容の一部を中心に、新渡戸稲造についての情報を掲載し、少しでも新渡戸稲造について知っていただければと思っています。

次回からは、2024年の新渡戸講座の内容について、このページへ掲載していく予定です。

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