帰りに自転車の鍵が折れた日

それは普通に終わるはずの休日だった。

いつもより少し遅めに布団から這い出て、valleyの日本公演のプレイリストを聴きながら洗濯物を干し、普段かけないようなサングラスをしてバッティングセンターに向かい、友人とハチャメチャにバッティングし、油そばを啜る。帰りにTSUTAYAによってサブスクで見れないキルビルや羊たちの沈黙のDVDでも借りようと、店前でチャリを停め、鍵を抜こうとした時、事件は起こった。初めはなにかの見間違えかと思ったのだが、、、

なんとチャリの鍵が曲がっていたのだ。鍵自体は刺さったままで柄の部分に近い鍵の根元が曲がっていた。私は焦って鍵を抜いた。鍵はかけた状態で。人は焦った時とんでもない行動をする。しかもネガティブな方へだ。私は何を思ってか力で鍵を元に戻そうと曲がった向きとは逆向きに力を入れた。 「ぱき」 湿度が高いことで有名な日本の夏の日差しの下で、あれほどの乾いた音はしばらくは忘れることはできないだろう。鍵が折れた。そう鍵が折れたのだ。しかも前述した通り、鍵はかけた状態でだ。こういうとき人は、というか私は現実から一度目を離す。私は折れた鍵のパーツ二つをポケットに入れて、DVDを借りに行った。
 DVDを探しながら、脳の片隅以上の範囲で私は鍵のことについて考えていた。考えうるさまざまな状況について考えたが、結局見て判断するということに至り(最初からその考えだったが、DVDを探すという行為に移すことで背けていた)、いよいよ壊れた鍵とのご対面。

ここでまず私は百均で接着剤を買い、鍵をくっつける作戦と折れた片割れ(刺さる部分が長い方)を差し込んで鍵が開けばいいなの神(鍵)頼み作戦と二つが思い浮かんだ。しかしここでも私は選択を誤る。後者の作戦を選んだ。片割れは先の方まで刺さったのだがカチッという希望の音はせず、奥に入り込んでしまった。もう一方の柄の部分も後から押し込んでみるがもちろん開かない。最悪なことに、片割れは奥に入り込んでしまい抜けなくなってしまった。夏の夕暮れ、この一連の作業を汗をかきながら結構広い道路で行っていた。流石にここで作業するのは怪しすぎると路地裏に移動をした。しかしこれも悪手。そう、路地裏の方が怪しいのだ。側から見たらまるで隣のアパートから自転車を盗み出したのに鍵がかかっており、なんとかして鍵を開けようとしている汗かき不審者でしかないのである。しかも鍵を奥に押し込もうとキーホルダーを分解し、針金の部分をまっすぐにしたものを鍵穴に差し込んでいるのだ。すれ違った人は、よくもこんな堂々と自転車泥棒するわねなんて思ったに違いない。10分弱その場で粘ってみたが、何も変わらず。仕方ない、押して帰るかと思い自転車を運ぶ。もちろん鍵がかかってるので後輪を上げた状態で進むしか手はない。家まではチャリで20分以上の距離。10メートルほど進んだ段階で、右手が悲鳴を上げ始める。これは地獄だ。到底家まで辿り着きそうにない。
ここで浮かんだ案が(もうこの案しかないだろうと読んでる人は早い段階で思ってたかもしれない)自転車屋で修理してもらうということだ。これは名案すぎる。その時の私は全くもって冷静じゃなかったので、この案を思いついた自分に褒めてやりたいほど喜んでいた。

そうと決まったら近くの自転車屋をマップで探すと、ありました。徒歩5分のところに自転車屋が口コミもまあまあ良さそうだったので、悲鳴を上げてる右手でサドルを持ち上げながら急いで自転車屋へ。着くとそこにはthe昔ながらの自転車屋の雰囲気を纏ったおじさんが。鍵の壊れた自転車を見せるとおじさんは、「これは鍵を壊して新しいのを付け替えるしかないねえ」そうなのか。でも直るというだけで、とてつもない安堵と喜びが溢れるくらいまで私は疲れていた。「じゃあそれでお願いします。」今考えると盗難した自転車かどうか全く疑わずに修理してくれたおじさんはすごいと思う。(きっと私と同じような人が何人もいるのだろう)
20分くらいで修理は終わり、もとの乗ったら進む自転車に。おじさんから鍵が劣化しないようにする方法も聞いて、私は晴々しい気持ちで帰宅した。自転車の素晴らしさを感じながら。

まだ一年も乗ってない自転車の鍵がまさか壊れるとは。人生は何が起こるかわからない。しかしその時にいかにして悪い選択をしないようにするかが重要である、という大きな考えを、たかが自転車の壊れたという話の結びとして置いておくとする。

決して折れた鍵を抜いた上で元に戻そうと曲げてはいけない。

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