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ANIMA 言の葉の回廊のレビュー:マーダーミステリーを超えたイマーシブゲーム

※今回のレビューは先行体験会でのプレイを元に書いています。そのため本公演では変更はあるかもしれないことをご了承ください。

冒頭からアイデンティティに関わることをお伝えします。『ANIMA 言の葉の回廊』は従来型のマーダーミステリーなのかと問われると、答えは「否」となります。いわゆるマーダーミステリーを期待して臨むと肩透かしを食らうでしょう。
だからといって本作を忌避すべきかというとまったく逆です。体験型エンターテイメントとして捉えれば、本作は非常に没入感が高く、ほかにない稀有な体験が提供される作品です。
むしろマーダーミステリーに拘泥しないカジュアルさがこの作品の意義であり、主観的イマーシブエンターテイメントを広げていく嚆矢にもなっています。
『ANIMA 言の葉の回廊』は「ハレのお祭りの場」といえます。

なぜマーダーミステリー風であってマーダーミステリーではないのか

作中で発生する事件の「犯人探し」、キャラクターとしての「主観的プレイ」、「個人目標の追求」、「論理的な推理」と、本作にはマーダーミステリーに必要な要素が確かに揃っています。ではなぜマーダーミステリー"風"であってマーダーミステリーではないかというと、犯人探しと個人目標が並列関係にあるからです。
マーダーミステリーでは犯人探しが主であり、個人目標は従です。なにを目的にしているかはともあれ、プレイヤーは犯人探しを(強制的に)することになります。しかし本作はそのような構造にはなっていません。
実は制約を外すことになるので、それ自体はキャラクターの心情的にもゲーム的にも必ずしもマイナスではありません。ただし(マーケティング的な事情などがあるにしても)「マーダーミステリー」と謳っている以上は、看板に偽りありと言われてもやむないでしょう。

犯人探しと個人目標が並列関係にあることは、キャラクターの立場から見れば自然なことです。
クラスメイトや仕事の同僚など既存の共同体の中で起きた事件ではなく、オークションに参加したメンバーの中で起きた事件で、当然ながら関係性が皆無な人たちも含まれています。自分にとって大事な目的がある中で、犯人探しをする動機は希薄でしょう。たまたま事件の場に居合わせただけで犯人探しをする人が現実にいたとしたら相当なお節介焼きです。
ほかの作品ではそれらしい理由づけがされますが、本作ではそれも用意されていません。
ゲームデザイン的にも10人を超える参加者全員を犯人探しに紐づけるのは無理が生じます。
「犯人探し」とはただ犯人を探せばいいというものではなく、"お互いが疑りあう中で"誰が犯人なのかを探すのが醍醐味です。いわゆる探偵役が不人気なのは誰も探偵役自身には興味を持たないからで、犯人探しができれば良いというわけではないことの証左です。
しかし1つの事件に濃い関係を持たせられるのはせいぜい7~8人です。仮になんとか20人を関わらせることができたとしたら、人間関係が複雑すぎて解明に時間がかかりすぎる、推理から離脱する人が出てしまうという問題が発生します。

いわゆるマーダーミステリーでは大問題ですが、本作をマーダーミステリー風ゲームと規定するのであれば問題ではありません。
大人数プレイのためにおそらくは意図的に、犯人探しと個人目標が並列関係になっています。

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5万冊以上の書物が演出する没入感とお祭りを楽しめるゲームバランス

8メートルの書架に3万冊の蔵書がぎっしり並んだ本棚劇場、文学・思想・科学などあらゆるジャンルの2.5万冊の本が配架されたブックストリート---希少かつ膨大な蔵書を遺して亡くなった猟書家の邸宅で行われるオークションという物語の背景に、これほどふさわしい舞台はないでしょう。
マーダーミステリーにとって没入感が大切だということは「オンラインとオフラインの違い」という記事でも取り上げた通りで、主観的な体験を主とする本作でもそれは変わりません。そして日本でいちばん没入感がある作品と断言できます。
本の海に囲まれた会場そのもの、そして閉館後に独占できるという舞台装置がハレの場を大いに演出しています。この雰囲気を味わうためだけに参加しても、十分に元は取れたといえるでしょう。

お祭りの雰囲気(=没入感)を楽しむためには、キャラクターの目的にユルさが必要です。精神的、時間的に余裕がなければ雰囲気を味わっているヒマがありません。
本作のキャラクター設定や目的はその意図に沿ったものになっています。キャラクターシートやゲーム中にすべき行動のボリュームは、程よいバランスが保たれています。作品に耽溺できる程度には分量がある一方で、ぱっと整理しきれないほど複雑でもありません。
マーダーミステリーの経験がない人でも、物語の住人となってその世界を体験することができます。
ただし積極性はプレイヤーに求められます。受け身でいるよりはアクティブに動き回った方が堪能できるでしょう。
カジュアルさは諸刃の剣でもあります。推理や議論を戦わせることに重きを置いている人にとってはまったく物足りないものになってしまいますし、配役によっては早々に目的を達成して手持ち無沙汰になる危険性をはらんでいます。
これを回避するためにはお祭りの場を楽しむものだという余裕を心得る必要があります。ただこれは参加者へ無条件に望むものではなく、主催者側の雰囲気づくりや誘導が求められます。

AnimaからAnima Mundiへ

『ANIMA 言の葉の回廊』をより楽しむために不足していると感じた点が2つありました。
1つはゲーム終了後の解説があっさりしている点です。
自分の目標を達成できた人は気にならないでしょうが、たどり着けなかった人にとってはどうすればよかったのかが大きな関心事です。これはGMガイドの記事でもお伝えしています。
また自分以外の19人が体験した物語がどんなものだったのかは知りようがありません。並列性が高いからこそ、グルーヴ感を出す補助線が必要となります。
ややもすると物語が未完のまま終えてしまうことになります。

もう1つは大きな物語の不在です。
ポストモダンの時代に生きているとはいえ、伝統的なナラティブが死んだわけではありません。むしろモダニズム的な考えはまだまだ幅を利かせています。
犯人探しがほかの目的と並列であるからこそ、それらを包摂するよりメタな物語が求められます。
本作にも努力の跡は見られるものの十分とはいえません。
メタな物語が存在していれば、ANIMAはAnima Mundiとなっていたことでしょう。

主観的イマーシブゲームの嚆矢

大人数でのプレイ、そしてプレイヤー層の拡張というのは、マーダーミステリーが定着していくために避けて通れない要素です。
『ANIMA 言の葉の回廊』はいまできる範囲でそれにチャレンジした作品といえます。
これからのマーダーミステリーの方向性の最先端であり、場の没入感に耽溺できる作品です。

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