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声楽タイムズ第17回「リチャード・ミラー:国ごとの歌唱スタイル」

この note では「声楽タイムズ」と題しまして、声楽コラムや声楽曲の紹介、発声文献や本の紹介など、日本声楽家協会研究所会員の執筆した様々な角度からの声楽にまつわる記事を掲載します。
今回は日本声楽家協会研究所会員のテノール歌手、渡辺正親さんに英語の声楽文献の紹介を書いていただきました。
この記事では、リチャード・ミラーの著書「国ごとの歌唱スタイル(National schools of singing)」の中から取り上げております。

渡辺宣材写真

渡辺正親 テノール
都留文科大学、東京藝術大学卒業。ニューヨークIVAI修了。日本声楽家協会研究所会員。新国立劇場合唱団契約メンバー。洗足音楽大学準演奏要員。ベルカントアトリエ講師。

「国ごとの歌唱スタイル」

皆様こんにちは!声楽家テノールの渡辺正親です。早いものでこの記事も4回目の投稿となりました。多くの方々に読んで頂けており非常に嬉しく思っております。「声楽発声」というものに興味がある人が多いと言うことも実感しておりまして、今後も学びを深め、日本の声楽発声の発展のために自身の知見を惜しみなく世に広げていきたいと思っております。
さて、今回はテノールの方向けにテノールの声について紹介していきます。文献はリチャード・ミラーの「国ごとの歌唱スタイル(National schools of singing,1977)」から紹介していきたいと思います。ミラーは日本でも最近名前を聞くようになった声楽教師です。理由としましては、日本語訳で「歌唱の仕組み」と「上手に歌うためのQ & A」という文献が出版されたことが大きいでしょう。非常に良い本と思います。前知識なしに読むのは難易度が高いですが、良書ですので興味のある方はご一読ください。今回紹介する「国ごとの歌唱スタイル」ではイギリス、フランス、ドイツ、イタリアの発声技術について解説されています。現在は韓国、中国、ロシア、アメリカなどの発声流派もありますので少し古い本になってしまうとは思いますがそれでも非常に役に立つ一冊だと思います。
それではテノールの声について紹介していきましょう。


・フランスにおけるテノールの声

まず大前提として、フランスでは男声の声区についての知識をあまり考慮しない傾向にあります。そのため、Ténor léger(軽い声のテノール)にとってはフランス式で非常に歌いやすいと感じるでしょう。逆に言えばそれ以外のテノールにとっては難しいとも言えます。Ténor légerは声区転換、すなわちパッサージョの音の位置が他のテノールよりも高いために母音修正などのテクニックを必要としません。フランス式のテノールの理想はTénor légerであると言えるでしょう。
そのためかリリックなテノールは高音が伸びません。スピーチで話す時のような声の延長で歌うことを推奨されるため、高音が広く開いてしまい、甲高い声になってしまいます。最終的にバリトンへ声種変更するケースも多くあるようです。結果としてまとめると軽い声のテノール(Ténor léger)が理想的なフランステノールの声になります。高音で母音修正などする必要がないため自然な声で歌える軽い声のテノールが良いと言えるでしょう。

・イタリアにおけるテノールの声

オペラをメインとするイタリアにおいては、テノリーノ(非常に軽い声のテノール)はイタリアにおいてはプロの歌手を目指す観点から言うと楽器が小さすぎるとされます。テノールレッジェーロ(軽い声のテノール)はオペラ「愛の妙薬」のネモリーノや「ドン・ジョヴァンニ」のオッターヴィオ、「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァなどの役が適役とされます。テノールレッジェーロは第2パッサージョ(声のチェンジ)がAsやA で起こるため、「声のカヴァー」について考える必要はないと言われています。この考えは少々フランス式のテノールの考えと似ています。
イタリアにおけるテノールリリコはイタリアオペラにおいて理想的な音色を持つと言われています。(ボエームのロドルフォ役のようなキャラクターですね。)ロマンチックでパワーと優雅さを兼ね備えた声と言えます。パッサージョゾーン(第一、第二パッサージョ)はDからGにあります。イタリアにおいて声としては特殊なものではないですが、最もベストな声の例の1つでしょう。
テノールリリコスピント(tenor lirico spinto)はイタリアの伝統的な歌唱法に参加できる声です。ドラマチックな物からリリコの役を歌うこともあります。ヴェルディを歌うテノールはスピントに多いです。ただし、ミラーによると、ヴェルディテノールは自分の楽器を超えて声をドラマチックにすることを求めるために声を押してしまい声のバランスが崩れるという事例をあげています。胸声域を拡張し、声門下圧を高め母音を暗くすることにより、美しいイタリアリリコテノールの声を終焉させてしまっていたと彼は述べています。面白いことにspintoという言葉は「押す」という意味がありますが、スピントのテノールは「声を押したテノールリリコ」ではないというのが重要です。本当のスピントテノールであれば、過度な胸声拡張や呼気の圧力をかけず不自然な声のカヴァーをすることもないでしょう。なお、過度にドラマチックに歌った場合、ドイツのヘルデンテノールのような声の崩れ方をしないのも特徴です。
テノールロブスト(テノールドラマティコ)はドイツのヘルデンテノール近い楽器と言えます。声のエネルギーが大きいために支えがかなり必要になります。傾向として声が過度に暗くなる傾向にあります。しかしこの楽器を持つテノールが叙情的に歌えた場合、他のテノールに比べてパワーも大きいので究極の満足感を聞き手に与えることができるでしょう。


・ドイツにおけるテノールの声

まずSpieltenor(シュピールテノール)という声種があります。この声はテノールレッジェーロと似ていますが文化的な側面からレッジェーロとは違う声となっています。オペラなどでキャラクターの特性を表現したサウンドなどを出すために咽頭を広げたりすることもあります。しかし声が重くなることを避ける傾向にあります。イタリアやフランスでは喉に詰まった声と言われるでしょう。しかし、頭声をあまり使わないためドイツ式の歌唱の中ではパワーがよく出せる声と言えます。しかしテノールレッジェーロとは似ていますが異なる声です。キャスティングされやすい役はドン・ジョヴァンニのドン・オッターヴィオやボリス・ゴドゥノフの白痴などになります。
次にテノールブッフォについて説明します。いわゆるコミカルな性格を持ったテノールです。一般的にはバッソブッフォが有名ですが、テノールにもブッフォがあります。キャスティングされやすいオペラの役は魔笛のモノスタトス、フィガロの結婚のバジリオ、蝶々夫人のゴローです。
ドイツにおけるリリックなテノールは2つに分かれます。若いヘルデンテノール(声のサイズ的にはイタリアにおけるリリコスピントテノール)と重たいヘルデンテノール(テノールロブスト或いはテノールドラマティコ)です。これらのテノールは頭声を使う歌手と胸声の要素が強い歌手の 2通りに分かれます。前者はドイツにおいて主流のテクニックですが後者は重いヘルデンテノールがよく用いる傾向にあります。
✳テクニックの観点から言うと、頭声のトレーニングをかなり積んだヘルデンテノールは高音域で声がぐらつく傾向にあります。なお、イタリアのテノールスピントは高音域においてヴィブラートの振動数を増やす傾向にあり、歌手によっては時折トレモロのようになることもあります。
✳ドイツ式の主流技術である、低い支えによる呼吸法や時期尚早な段階でのデックング(声のカヴァー)は男声の声を他の国の流派よりもドラマチック(重く)にしている傾向にあります。これは私見ですが、本来持っている楽器のキャパシティを超えて声をドラマチックにしてしまうことになり、発声を崩す可能性が高いと言えるでしょう。
さて、もう1つドイツにはテノールの声があります。上記は主にオペラの分野で扱われることが多い声種でしたが、宗教曲のジャンルにおけるテノールも紹介します。ライトテノール(明るいテノール)と言われるテノールでバッハや古楽などを歌うテノールです。彼らは空気に声を混ぜる技術や頭声によって声の輝きを減少させ、まっすぐで透き通った声を目指します。高音域でミックスボイスや域の流れに沿ったファルセットを使うことも多い声です。
✳イタリアにおいてこのファルセットはVoce finta(偽の声)とされよくないものとされるでしょう。


・イギリスにおけるテノールの声


声の種類についてはもうすでに紹介しているので特に明記することもないのですが、イギリスでは大聖堂で歌う歌手かオペラを歌う歌手かで発声が変わってきます。前者の場合は「純粋な声」を目指し、声に息をわずかに混ぜます。これは少々ドイツにおけるライトテノールに似ています。後者は胸の位置は高く、肩をあげ、鳩尾を凹ました状態で喉頭に息による圧力をかけます。この声もイタリアのテノールリリコスピントと似ていますが、イタリア的な声のバランスではありません。また、過度に負荷をかけすぎることもあり声にトレモロがかかることがあります。

いかがだったでしょうか。国によって発声も声の種類の数も違うのは興味深いなと思います。今声について悩んでいるテノールさんがいましたら、自分の声種について考えるきっかけになれば幸いです。今後も記事を書いていきますのでお楽しみに、それでは!