こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話

映画を観るときに「実話かどうか」なんて気にする人いるのか?? エンターテイメントに実在性を求めるなんて本末転倒だろ。逆に「実話じゃないと観ない!」なんて人いるのか? 正直よくわからん。ずっと犬の映画でも観てろ。

と、俺の頭の中に住んでいる実話主義者を殴ってすっきりしたところで冷静になりますか。


舞台は札幌。大泉洋、高畑充希、三浦春馬が登場する映画ですね。なんと華々しいキャスト。予告編は観た人がたくさんいるでしょうけど(すごくたくさんCMが流れていた気がする)、こちら。

感動モノに見えるじゃないですか。ポルノグラフィティの曲もめっちゃ感動路線だし。結論から言うと、たしかに感動はした。けれど、お涙頂戴ではなかった。

前提としてかなりメタ的に物語づくりの視点から言うと「障がい者」という要素は「困難」の象徴として捉えられる。これは事実だと思う。実際、巷によくいる人たちにできることが「困難」なのは障がい者の特徴である(この言い方が適切かも自信が無いけれど・・・)。

物語において「要素」は対極のものを浮かび上がらせるのに有効である。つまり流れとして、「困難」の対極にある「希望」や「夢」が物語として浮かび上がらせやすくなる。実際この作品も他の「障がい者が出てくる物語」に近いところはある。特に大泉洋が告白するシーンの流れは「ジョゼと虎と魚たち」を思い出させたし、音楽が絡んで楽しく交流するシーンは「パーフェクト・レボリューション」にかなり近い。そのくらい「障がい者」を主軸とした映画には自由度が無く、一つのジャンルとして色眼鏡をかけて観てしまう。特に「困難を乗り越えた感動」なんて、やりがちなコースである。夏に一日かけてやってるゴミ番組のように(好きな人いたらごめんなさい)。

そんな中、この作品は「感動」よりも「感情」にフォーカスを当てていたことが、気持ちよく見れた理由の一つじゃないかと思う。

まず、大泉洋の傍若無人っぷりに序盤で高畑充希がキレる。障がい者に向かって「お前何様なんだよ」とはっきり言いのけるのだ。これって現実世界だとかなりやりにくい。完全に感情先行の言動で、正直ちょっとびっくりした。

しかも、最初の高畑充希、全然つまらない。男にステータスを求めてニヤつくような女子大生なのだ。医学部の彼氏と付き合っていることをステータスに感じるような軽薄な女なのだ。大泉洋のワガママよりよっぽど不快で、何より態度がかわいくない。

しかし、キレてから仲直りのデート(?)をしてから高畑充希、一気に魅力的になる。「嫌われてもいいから何しゃべってもいいや。気を遣わなくてもいいや」となってからが格段にかわいい(役者としてすごいと思う)。一気に少女っぽく純粋になる。感情表現が豊かになるし、将来の夢について再考もする。なんて素敵になるんだ・・・

そして物語の主軸となる大泉洋の言うことや態度もかっこいい。助けてもらわねば生きていけないことを卑屈にとらえていない。「だってみんなできないことあるじゃん? 俺はそれがちょっと多いだけだよ? みんな、夜更けにバナナくらい食べたくなるじゃん?」という感じなのだ。

特に、高畑充希と三浦春馬にひと悶着あってから、どんどん大泉洋の生き方が光り輝いてくる。

高畑充希にはできなかった「叶えたい夢を投げ出さないで努力する」ということ、三浦春馬にできない「自分のワガママを通すこと」のどっちも大泉洋がやっているのである。そして物語の中で二人とも大泉洋との交流を通じてやってのけるのだ。これは「成長」である。「感動した」「生きた証を残した」みたいな、障がい者に関係する事実だけを述べて終わるような作りじゃないのが良かった。単純に、作中の大泉洋は魅力的な人物だった

これだけ前面に出ている大泉洋を物語の「主軸」と言ったのには訳がある。この物語の主人公は高畑充希なのだ。断じて大泉洋ではない。だって大泉洋はほとんど成長しないで平常運転だし。

一方「障がい者で助けてもらって生活してんのに、調子乗ってんじゃねーよ!」なんて言っていた高畑充希は、大泉洋のことを一人の男性として見るようになる。自分に夢を目指す勇気をくれた人に対して、できる恩返しはないかと奔走する。確実に、人をステータスではなく、人としての魅力度で測れるようになっている。人の魅力をとらえる時に、より深くまで見ることができるようになるなんて、すごい成長である。

三浦春馬は、感情の乗っていないうすっぺらな役をやらせると天下一品だと思う。最初から最後まで、三浦春馬の言動には強い感情を感じなかった。たとえ泣いていても。とにかく迷っているんだろうな、強い感情を抱かずに生活してきたんだろうな、という感じである。きっと高畑充希と付き合ったのも「意思の弱い普通の女子大生」だったからなんだろうな。この作中における三浦春馬のふわふわっぷりは一見の価値がある。

脇役の人たちもみんなよかったですが、特に萩原聖人がよかったですね。最初から大泉洋と友人のように接しているので、この人物と取るべき距離感のガイドラインとしてとてもわかりやすい。序盤の重苦しい雰囲気を崩してくれる清涼剤でした。素直な演技も、感情を含ませた演技もできる。「男の友情」を体現できる役者さんですね。



創作ネタとしては「感情の蛇口をひねってあげるきっかけを、いつ与えるか」ってとても重要だなと思いました。それが作品のテンポを左右すると感じた。この作品も、最初に高畑充希がキレたことで「主人公はこの人だな?」 とわかったし、あそこで汚い感情を吐露させたからこそ、後々の言動の変わりようが素敵に見えてくるのだろうと思う。


小説や映画などのストーリー性があるものに、自分は「成長」の要素を求めているんだなあ、と思うこのごろ。

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