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きみの色(後編)

前回の続きです。
(映画全体の話に触れているので、前回から読むのをオススメします)

今回は、より深く作品の裏側まで触れていきます。
後編なので最初から好き勝手書くぞ!



さて前編の続きですが
本質的すぎるが故に、エンタメとしては薄味なので、よくGOが出たね という驚き
というコメントの本旨に触れると

とにかくこの作品、核心については「触れるが、語らない」
終始、わかりやすい正解や答えを示す気はない作品である。


不必要な感情のジェットコースター」なんて前段では書いたが、多くの観客はジェットコースターを求める。なので、エンタメとして大衆が求めている要素には合致していない。

また、無粋なことをしないが故に、見る人によっては、ものすごくモヤモヤでして終わるだろう。

想像の余白を設け、そこは暴露せずに終わる作りなので、場面ごとのキャラクターの感情に答えがでるシーンは少ないし、登場人物のその後についても語られない。

これは相当で、主人公たち3人のことも、一部はわからないまま終わる。
とつ子がバレエをやめたときの葛藤、「きみ」の両親や兄、ルイの兄弟や父親については、全く語られない。
それぞれ何かしらの事情がありそうなのに、である。

3名それぞれが各々に抱いている感情についても、恋愛か友情か親愛か。その答えは出ない。微妙に双方向ではない感情の熱量を感じながら、感じさせたままで作品は終わる。
それを語れば恋愛要素が増え、エンタメ要素が増えそうなのに、である。

また、高校生の普通のバンドなら良いのに、ルイの楽器は「テルミン」である。この映画で初めて存在を知る人もいるのでは、と思うくらいのマイナー楽器を当然のように繰り出している。



テルミンを演奏する人(いらすとや)


「いや、どういう人生を経たら高校生がテルミンなんかやろうと思ったんだよ!
とツッコミが入りそうだが、これも劇中では全く語られない。

作劇において情報には意味があるので、当然無駄だったり、軽んじてよい内容ではないのは自明。作品の内容から、人の大事なことをないがしろにすることはない。


まあつまり、

この映画は設定や作りこみに裏打ちされた
本質的な要素に削ぎ落とすための引き算を相当行っている精密な作品。

しかしその結果、映画やアニメという「エンタメ」に求められる最大公約数からは外れている。



実際、売れ行きは良くなく、ネットの隅でひっそりと評価されながらも、上映から1か月で札幌でも上映館が無くなってしまう事態だ。

やさしさや美学、大事な思想やメッセージに重きを置いた結果、産業としてのこの映画の経済的価値は犠牲になってしまった。

実際、私がこの映画の販促・広報担当になったら相当困っていたと思う。

この映画、本質的が故に刺さる範囲が広すぎてしまい、具体的にどの層に刺さるのかがわからくなっている気がする。
しいて言うならば「アニメ映画ギーク」だろうか?
少なくとも、生きづらさを抱えたことのない、実写版の恋愛映画しか見たことがない層とは無縁の作品だろう。

内容としてもキリスト教の聖書や人生の解釈などがベースになっていて、取り扱いも難しい。本質的なことを伝える内容のため、わかりやすい魅力の伝え方ができない。

音楽や映像も良いのだが・・・それだけを期待して臨むと、他の作品には負ける。
最近だと『ルックバック』のほうが上だったと言わざるをえない。

ではストーリーも単体で魅力的か? と言われると・・・語りも起伏も少ないので全体的に薄味なのは否めない。
悪く言えばヤマもオチも派手なカタルシスもなく、非日常感はあまりないまま終わる。

でも、作品としてそれが間違っているわけではないのだ。伝わるものはきちんと伝わっているし、過度なヤマやオチは作品自体の価値を下げてしまうと思う。

映画と言うもににおいてあまりに本質的すぎると、エンタメとしては非常に立ち位置の不明瞭なものになるのだな、と作品を観て思った。


何を押し出して売っても、嘘になりそうなのだ。
本当に良いものなのだけれど、それに触れるフックに欠けるし、集客に傾倒すると作品のコンセプトに嘘をつくことになる。

主題歌がミスチルだったり、声に有名俳優を使うなどしているが、この映画が求めるターゲットと合致しない気もする。

ミスチルを好きな人は、葛藤はあるけれどそれを自分で克服する力はあったり、イノセントワールドあたりのB面で出している曲がすきなGeek寄りではないか? と思うので、葛藤を抱えながらアニメ作品を好む、生きづらさを抱える人たちとはマッチしない(偏見ですみません)。

ミスチルだからといって見た人は肩透かしを食らいそうではあるし、ミスチルが主題歌=『バケモノの子』=細田守=商業アニメ作品
のイメージができる偏見まみれのうるさいオタクは逆に嫌煙してしまう。
実際、自分もそのケはあった。

ミスチルの曲自体はとても良くて、予告編も in the pocket はとても素敵なんですどね。
イントロの鐘の音の入りや、歌詞の随所も作品の世界観を大事にして作っており、思いやりにあふれている。


商業的な面に戻ると、他の映画で稼ぐからいい、というスタンスなら気にしなくていいだろうけれど、『きみの色』の前に立ち塞がった「オリジナル作品でヒット」の高い壁
という記事はわかりやすく述べていると思う。
映画でやりたいことはできており、美しくはあるのだけれど、商業作品としての勘所は落ちている。


ここまで後編で色々述べましたが、勘違いしないでいただきたいのは、個人的には好きな作品だし、魅力はいくらでもあるいうこと。
映像・音楽・脚本・コンセプトはこれまでに観たことのない純粋さは唯一無二だし、よくある「しょうもなさ」もなかったし、自分にとってはとても素晴らしい作品だった。

映画は「作品の裏にある文化・文脈・思想 を楽しむもの」という方にはぜひオススメしたい。

ただ、万人に勧めるかと言われると難しいし、ヒットしなかった理由もわかってしまう。
映画にエンターテイメント性を求める人は楽しめないだろうし、『マッドマックス』や『君の名は。』アニメ映画にしても『若おかみは小学生!』のほうが紹介しやすい。


これを売れっ子プロデューサーである川村元気が手掛けているのは、正直意外だった。
彼なりの試作のような映画だったのだろうか。
あの有名な「世界から猫が消えたなら」も引き算で成り立つ静謐な作品だったので、作家としては近しい部分にある作品なのかな? とは思った。
逆にこれまで吹っ切れた作品を作れるのであれば、今も進んでいるのであろう、次の新海誠作品のテーマ性には期待できる気はする。

ちなみに新海誠さんの『きみの色』の感想は下記。

とても優しくて可愛らしく柔らかい映画だけれど、とても強い覚悟に満ちた作品でもありました。今、この作品を作り上げるなんてすごい……! 企画を含め制作はきっと戦いだったのではないかと、勝手に想像してしまいます。とても勇気づけられるし、憧れます。それぞれの映画に『色』があるとして、『きみの色』は世界に存在する色そのものを押し広げるような、目に映る色数を増やしてくれるような、そんな無二の映画でした

きみの色:新海誠監督「無二の映画」 松岡茉優、日笠陽子らが絶賛コメント 山田尚子監督の劇場版オリジナルアニメ



映画のテーマ性と、商業作品としての難しさ。
その両方を感じる味わい深い唯一無二の作品でしたね。
今の日本人には合わなかったけれど、アート感受性の高い観客がいる国とかで流行ってくれないかな。

今後似た作品が出てくることはあるのだろうか・・・?
しばらく、お目にかかれない気はしています。
それくらい、好きな人にとっては貴重な作品でした。

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