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【世界考察13】学歴の最終結論/頭が良いってそんなに良いか?/今後の仕事

●学歴の最終結論

世界考察では何度か学歴に触れている。

その都度真面目に語ってはいるが、実際のところ、私自身は、ぶっちゃけ学歴はどうでもいい。どうでもいいというのが最終結論だ。最終結論がただの私見で申し訳ないが、いずれにせよ客観的結論など出るわけはないので、最後は(誰にとっても)主観しかない。

私は学歴に執着がない。東大医学部を見上げたこともなければ、名もなき大学を見下ろしたこともない。中卒も高卒も東大卒も全てがフラットである。何たら大学の何たら学部だけは何たら大学よりも上だとか、問題傾向があーだこーだで何たら大学の方が難しいとか、理系の方が文系よりもどうだこうだとか、就職を考えるとうんぬんかんぬんとか、高卒よりも大卒の方がなんとかとか、職業柄知ってはいるものの、どうでもいいし、特別な興味もない。なぜこんなことを言い争っているのか。東大は金持ちしか入れない! とか言われても、まず東大に入る必要はあるのか。そこから疑ってほしい。

私が唯一気にするのは、その人がなにをやって生きてきたかだ。大学に行ったのなら、何学部にいたのか、何を勉強したのか、どんな卒論を書いたのか、そこ以外に興味がない。大学名を気にしたこともない。オメーの学歴はそんな大したものなのかよ、という声が聞こえてくる気がするが、別に大したことはない。それもどうでもいい。学歴よりも恋愛ADVのレビューの方がずっと興味がある。

●頭が良いってそんなに良いか?

そもそも頭が良いことすらどうでもいい。頭が良いとはそんなに良いことなのか。思わない。限られた時間の中、異常な処理スピードで、箱庭の中でこねくり回された試験をクリアする。そんなことにも特別な価値を見出せない。私はその頂点まで辿り着いたものではないが、頂点に特別な意味は見出せない。凄いなとは思うが、凄いなと思うだけだ。今までもこれからも自分で目指すことはない。悪い方が良いわけではないが、良いから良いということもない。良いも悪いもフラットである。頭が良いより、人が良い方がよっぽどいい。自戒を込めた言葉だ。

他人がその頂点を目指すこと自体は尊重する。私は特別な意味を見出さないが、尊重はする。資質があり、能力があり、目指したいと思う人の手助けはしたい。やりたい人だけがやればいいのだ。ただ特別な価値はない。あやとりが得意とか、射撃が得意とか、なわとびが得意とか、そういうことと、勉強が得意なことに、全く価値の差はない。全て等価値である。

●今後の仕事

私が今後仕事にしたいことは、やりたいことを全力でサポートすることだ。あやとりを極めたい人がいるなら、全力でサポートする。なわとびを極めたいなら、全力でサポートする。東大に行きたいなら、全力でサポートする。普通の大学に行きたいなら、全力でサポートする。どこに向かうのであれ、動機があるのならば、意志があるのならば、情熱があるのならば、共に走る。そういう仕事をしたい。そんな仕事はあるのか。


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