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【世界考察44】江戸の敵は長崎で討てない

オリンピックの借りはオリンピックでしか返せないという言葉がある。世界選手権で勝とうが、他の何で勝とうが、オリンピックでの敗北はオリンピックの勝利でしか取り返せないということらしい。

フロイトの心理学用語で昇華という言葉がある。失恋の悔しさを大学受験で晴らすとか、大学受験の失敗を就職で取り返すとか、そういう話である。オリンピックの借りはオリンピックでしか返せない理論によると、失恋の悔しさは恋愛でしか取り返せないはずである。大学受験の失敗は大学受験でしか取り返せないはずである。一体どちらが正しいのか。オリンピックは大抵のスポーツで最高の舞台であるから、同じアナロジーになっていないというのが真実ではあるが。ただ、大学受験は人生の本質からかけ離れているので、そもそも私の中では失敗という概念がない。学力に合った大学に行けばいいだけだ。

話がそれた。オリンピックはともかく、江戸の敵を長崎で討つ、という言葉もある。筋違いの仕返しを指す言葉だ。筋違いの復讐で心は満たされるのだろうか。多分無理である。復讐で心は満たされるのか。それも議論の余地が残る。

恋愛にせよ、スポーツにせよ、筋違いの勝利で何かが満たされるのだろうか。多分、無理である。無理であるが、筋の違わない勝利など、あまりにも難しい。他の何かで満たされたことにしておくのが、健康には良さそうである。人生、何でもかんでも得られるわけではない。

この話の本質はなんだろう。書き始めたのはいいが、特に何も考えてはいなかった。おそらく本質は、失敗に対してどう向き合うかだろう。

私は人生でとんでもない大失敗をやらかしているが、それは私の中ではある程度取り戻せた。客観的に見てどうかは知らないが、少なくとも主観ではそうなっている。私の気づかないところで酸っぱい葡萄になっているのかもしれないが、気づかないところなのでどうでもいいと言えばどうでもいい。この大失敗はいずれ語る予定である。

一方、中程度の失敗もある。ただ、とんでもない大失敗とは異なり、どう足掻いても取り戻すことがないものだった。こちらは永遠に語る予定はない。

どうも世の中には、自分が頑張れば何とかなる(ように見える)ことと、自分の力ではどうにもならない(ように見える)運命があるらしい。そんなことは当たり前であるが、どうにもならないことにぶち当たらないように生きていれば、当たり前にも気づかないわけだ。永遠にぶち当たらないように生きていればよかったのか。それはそれでありかもしれない。何がいいのかはわからない。全ては決定論かもしれない。


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