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【世界考察43】思考力とは何か

思考力を育てる。教育界隈ではよく聞くワードである。この先の時代を生きるために、難関校に受かるために、将来の可能性を広げるために。様々な理由で思考力を育てるというワードが登場する。もはや思考力があれば全てが上手くいくというほどの勢いだ。もちろん、思考力があれば上手いくいのは、思考力を要求されるシーンだけである。普通に考えて、考えてもわからないこと、答えが出ないことなど山ほどあるのだが、現代社会は考えてもわからないものを排除するゆえに、思考力で対処できるシーンで塗りつぶされている。おなじみの脳化社会だ。脳みそで対処できないものは排除される。脳化社会を合理的に生き残るためには、脳みそを鍛える必要がある。そこで登場するのが思考力である。では思考力とは一体何なのか。もちろん、分類すれば色々と整理できるのだろう。分類整理も、もちろん思考力の一部だが、仮説形成、実証、検討、あるいはPDCAサイクルなど、思考力と呼ばれるものの正体は、考えを巡らせると見えてくる。しかし私は分類や整理という概念に何の興味も持てない。では何をやるのかと。己の意見を開示するだけという、いつものパターンである。

言い切ってしまおう。思考力とはタフさである。思考力とは、思考の持続力とも言い換えられる。困難を持続するためには何か必要なのか。そう。体力である。精神力である。つまりタフさである。どうでもいいこと、一見意味のなさそうなこと、考えても一文の得にもならないこと、そんなことをひたすら考え続ける苦しみに耐えうるタフさこそが、思考力の正体である。単なる分類整理や、仮説形成云々や、PCDAサイクルの何たらなど、思考力と呼ぶほどのものでもない。並べ替えの絵合わせのようなものである。

そう考えると、思考力とは本来あってはならないもののようにも思える。とにかくひたすら考える苦しみを味わい続けることが、一体何の役に立つのか。全く立たない。しかし、役に立つ立たないを考えているうちは思考力は身につかない。思考力を身につけると何か嬉しいことはあるのか。ない。なので、一般的に呼称される思考力は、論理的整理整頓能力と名づけたい。こちらは仕事をする上でも生きていく上でも有用である。その先の思考力の世界に辿り着こうとすると、人生が傾く可能性が高い。それでも、そうせざるを得ない運命にある人だけが、そっちの道へ進んでいくわけだ。荊の先に王座はあるのか。

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