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マネされた
TOMO様の素敵なイラストを使わせて頂きます。ありがとうございます。
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蜘蛛の糸という芥川龍之介の話がある。
ある日、お釈迦さまは極楽の蓮池のほとりを散歩していた。はるか下には地獄がああり、犍陀多(かんだた)という男が血の池でもがいているのが見える。
犍陀多は生前、殺人や放火など、多くの凶悪な罪を犯した大泥棒であった。しかしそんな彼でも一度だけ良いことをしていた。道ばたの小さな蜘蛛の命を思いやり、踏み殺さずに助けてやったのだ。そのことを思い出したお釈迦さまは彼を地獄から救い出してやろうと考え、地獄に向かって蜘蛛の糸を垂らした。血の池で溺れていた犍陀多が顔を上げると、一筋の銀色の糸がするすると垂れてきた。これで地獄から抜け出せると思った彼は、その蜘蛛の糸を掴んで一生懸命に上へ上へとのぼった。地獄と極楽との間にはとてつもない距離があるため、のぼることに疲れた犍陀多は糸の途中にぶらさがって休憩していた。しかし下を見ると、まっ暗な血の池から這い上がり蜘蛛の糸にしがみついた何百、何千という罪人が、行列になって近づいてくる。このままでは重みに耐えきれずに蜘蛛の糸が切れてしまうと考えた犍陀多は、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。下りろ。下りろ」と大声で叫んだ。すると突然、蜘蛛の糸は犍陀多がいる部分でぷつりと切れてしまい、彼は罪人たちといっしょに暗闇へと、まっさかさまに落ちていった。この一部始終を上から見ていたお釈迦さまは、悲しそうな顔をして蓮池を立ち去った。
自分に垂らされた糸、同じように助かりたいと思った人を蹴落とそうとする。
人間の心を解いた話。
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よく、「あいつがマネをした」「マネされた」とごちゃごちゃ言ってる人がいる。
また、ビジネスはマネの連続だ。
時間をかけて自分が苦労をしてものを作る。
生みの苦しみはわかる。
しかし、それでも自分のアイデアが模倣されるのはいいことではない。
けど、広まれば広まるほどマネされることは当然と思う。
感情的に理解できなくてもそう言うものだと言う諦め、明らかにすること。
そもそも今こうして書いている、文字、言葉もそう。
先人のマネをしていく。
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ネットがあると余計加速している。
ここを何とかしようとしても無理。
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ちょっとやそっとじゃマネされない技術。
外見上マネされたところで、とうてい真似できないものをつくる。
マネされても生き残れる気合いと、覚悟。
マネされ始めたら嬉しいと思えるまでは時間はかかる。
マネされたからと言って、活動に影響を及ぼされるようであればプロとして生き残れることは厳しい。
マネされてイラつくエネルギーを使うよりも、
外見だけマネされても真似できないぞくらいのものをつくるエネルギーにかえる。
本物は必ず残る。
蹴落としたいと言うエネルギーは蜘蛛の糸と同じ。
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