学校の校務員さんに、憧れている
学校に勤めていた頃、お掃除をしてくださる校務員さんとよく話していた。
話すのはささいなことで、「校庭の桜が綺麗に咲いてますね」とか「文化祭も終わりましたね」とか。その一言を積み重ねていくうちに、色んな話ができるようになってくる。
「先日、孫が生まれたんですよ。今はお世話が大変で」
「今週末、彼のご両親とお会いするんです。どきどきします」
校務員さんは、学校の中心から離れた場所にいる存在だ。見ている視点も、流れている時間も、先生たちとは違う。その距離感が程よくて、話せばいつも安心できた。
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小学生だった頃、一人の女性の校務員さんを慕っていた。掃除の時間に焼却炉にごみ捨てに行くと、テキパキと手伝ってくださる、気持ちの良い方だった。明るいピンク色のエプロンをしていて、その色がよく似合っていた。
「また来てくれたの。えらいねえ。終わったら遊んでおいで!」
「今日も一人で来たの。遅くまで頑張るねえ!」
ごみ捨てに行くたび、元気よく声を掛けてくれることが嬉しくて、私は何度も焼却炉に足を運んだ。せっかく行っても、混んでいるときは話せないから、あえて掃除が終わるギリギリの時間に、焼却炉に行っていた。用もないのに、校務員さんに会いに行く勇気は、まだなかった。
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ある日の「帰りの会」で、担任の先生が「実は、このクラスの中に、日々ごみ捨てを頑張ってくれている人がいます」と話し始めた。すぐに、私のことだ、とわかって、どきりとした。
先生から立つように言われ、クラスの皆から拍手を受けた。それから先生は、「○○さんが一人でごみ捨てに行くのは大変だから、気づいたら手伝ってあげるように」と話した。
このときの気持ちは、なんだか忘れることができない。
私は、ごみ捨てを口実に、校務員さんと話したかっただけだった。それを知られたかったわけでも、褒められたかったわけでもなかった。
これからはごみ捨てに行く姿を見られたら、友達が手伝ってくれて、一人で行けなくなる。校務員さんと前みたいにゆっくり話せなくなってしまう。自分だけの楽しみがなくなってしまう……。
色んな気持ちがないまぜになって、ごしゃごしゃになった。
それ以来、私が一人でごみ捨てに行く回数は減ったが、ピンクのエプロンをした校務員さんは、何事もなかったかのように声をかけてくれた。おかげで、私の不安はいくぶんか和らいだ。
ただ、自分にとっての特別な時間は減ってしまった気がして、少し寂しかった。
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ある警備員の方と、手紙でやりとりをしている。その方は、前に勤めていた中高一貫校の警備員さんだ。校門を通るたびに色んな話を重ねてきて、私が退職してからも交流が続いている。
身体が大きく、一見強面に見える方なのだが、実は生徒思いで優しさに溢れている。漢詩を作るのが趣味で、分厚い辞書に当たりながら、韻を踏んだ本格的なものを作られる。博学な勉強家で、同じ警備員・校務員仲間からは「博士」と呼ばれているらしい。
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こんな話が心に残っている。
「生徒会から、全校生の前で流す動画を取りたいと言われましてね。【警備員さんからのメッセージ】として、『警備員さんが挨拶をしたら、元気よく返すようにしてください』というコメントをください、と頼まれたんです。
一度はよく考えましたが、私は「申し訳ないけれど、それはできません」と伝えました。
毎日、必死の思いで登校してくる生徒がいます。うつむきがちだった生徒が、何かのきっかけで明るい顔で登校してくることがあります。
たしかに私は、登下校する生徒たちに、毎日「おはようございます」と声をかけます。
そこへ、「挨拶を返してほしい」というのは、何か違う。これは自分の信義に反することで、どうしても言えないんです。」
校門を通る生徒に、挨拶をし続ける。その裏側にある思いを垣間見た気がした。
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私が出会ってきた校務員さんや警備員さんは、こんな風にして、学校を静かに支えてくださっている。そんな在り方が、好ましく思えてならない。
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