英語で日本を学ぶ。言葉の深みを実感した体験。
この間、日本語が母語の私ですが、英語で日本語を学ぶという不思議に思える経験をしました。
それは、とある資料館を訪れたときのことでした。
そこでは、近代に詠まれた短歌が紹介されていました。
近代のものなので、古語というよりは現代の言葉に違いのですが、いまいち意味を掴み取りかねます。
説明を見てみても、詠まれた状況については書いてあるのですが、短歌そのものの意味は説明されていませんでした。
ところが、その横に、短歌の英訳と説明の英訳が書かれていたのです。
日本語だと意味が汲みづらい短歌でも、英訳の方は文字数の制限もないからか、とてもシンプルでイメージしやすい内容になっており、その英訳を読んで、原文ではわからなかった歌の意味がすとんと頭に入ってきました。
それと同時に、たった32文字の中にこれだけの意味や想いが込められているのかと、日本語表現の美しさに感動したものです。
日本語では理解できなかった言葉を、英語を介することで理解できたという少し面白い体験です。
もう一つあります。
その資料館には、もっと古い歴史資料も展示されていました。
その中には、こうした言葉に関する資料がありました。
「守護・地頭」、「天下統一」、「大政奉還」などです。
おそらく多くの人が日本史の授業で勉強したことがある言葉だと思いますが、何のことなのか説明しろと言われたら意外と難しいんではないでしょうか。
展示している資料にも英語の説明が書かれていたのですが、そこでは、こうした言葉が非日本語話者にもわかるように訳されていました。
その英文を読んで、確かにそういうことを意味する言葉だなぁと、あらためて歴史用語への理解を深めることになりました。
当たり前のように使っている言葉でも、他の言語を使って分解してみることで意外とその言葉の意味を深く理解せずに使っていたものだと気付かされた瞬間でした。
他にも、英語で日本語を学ぶ機会はあります。
英文和訳や和文英訳の練習は、英語の勉強と同じですが、日本語について深く考える機会にもなります。
例えば、“develop”という中学レベルの比較的容易な単語でさえも、辞書を引くと「発達させる」「発展させる」「展開させる」「開発する」など、いろいろな意味が出てきます。
ここで、発達、発展、展開、開発の違いってなんなんだ?などと思うこともある訳です。
英語を英語のまま理解する感覚が身に付いていれば、訳す必要もなく感覚で理解できるのですが、そこから少し発展して、日本語で原文の意味にできるだけ忠実に伝えようと思ったりするときには、このように英語を通じて日本語の学びを深めることにもなるのです。
時には、辞書に載っていない言葉の方が文脈を上手く指し示す場合もありますから、英語はそういった日本語探しの旅に連れて行ってくれるツールともいえるでしょう。
我々は、身の回りの、日本の環境や、日本語での思考が当たり前になっており、客観的にそれらを捉えることが難しくなっています。
英語は、そうした当たり前を客観的に見るきっかけを与えてくれ、普段の視点とは別の見方や考え方を提供してくれます。
英語をコミュニケーションのツールとしてではなく、物事を見るための母語以外の視点として考えると、英語能力の価値は一層高まります。
英語学習を通じて、新しい視点の獲得を目指してみてはいかがでしょうか。
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