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義母、87歳(1)          義父が急逝。蜂窩織炎とは・・・

義母

というタイトルをつけておきながら
のっけから義父の話ですが笑

昨年2023年末、何の病も持っていなかった義父(87歳)が
急逝した。

お風呂で立てなくなって救急搬送された

という連絡があってからなんと、10日で
昨日まで元気にしていた義父は亡くなった。

夜発症して受け入れ先が見つからず
明け方にようやく入院したらしく
翌朝になって我が家では細かい話を聞くことになったのですが
入院当初、右脚の太腿部分が2倍くらいに腫れ上がって
39度近い熱が出ている状態だったようです。

抗生剤を入れて様子を見ていたのですが
なかなか熱も下がらず、症状は改善しません。

意識はあります。

入院して2日くらいはしっかり話も出来ていたのですが
4日目に口の利き方が「ふがふが」という感じになってきたので
看護師に話を聞くと

少し認知機能が衰えてきているのかもしれない

という説明を受けました。

認知機能というのも
素人にとってみれば
何と言うか曖昧と言えばあいまいな言葉です。

医師からは、適合する抗生剤を探しているがなかなか見つからない。

と言われ
(それも電話で。救急搬送だった上に10日間のことだったので
 結局、最後まで主治医の顔も見ないまま終わってしまった。
 例えばそれが自分の夫のことであれば
 そんなことで私は納得しなかったと思う。
 でも、夫の実家のこととなると、口出しを出来ないことは沢山ある)

熱も全く下がらない。脚の腫れもひかない。

5日目に嚥下が出来なくなり
経口薬も水分も飲めなくなってしまったため
鼻から胃に管を入れてそこから栄養や水分を注入する
経鼻胃管をしたいのだけれど良いか、
本人に確認したところ了承を得ているのだけれど良いだろうか

という連絡が夫に来て、夫はそれを了承しました。
この辺りのことについても
色々思うことはあるのですが、そこを書き始めると
別の話になってしまうのでこれについてはまたいずれ。

更に7日目の朝に

このままいくと、早ければ今日の夕方には意識がなくなると思う。
会わせておくべき方がいればそれまでにいらして下さい

との連絡が夫に入り、私は、早退した息子と夫と急ぎ病院へ向かい、夫の実家からはもうひとりでは歩くことの出来ない義母と、義姉夫婦がタクシーに乗って病院に集まりました。

病室には2人ずつ、それも15分程度ということだったので、まず私と息子が病室に入りました。義父は、意識はあるのですがどこまで分かっているのかは不明。はっきりと分かっているようでもあり、そうではないようでもあり。とはいえ私と息子のことは良く分かっていて、何かを伝えようとしているのだけれど、力がなくて「ふがふが」としか発語出来ないのと、経鼻胃管を通してしまっていることの苦しさが先に立つのか、ほぼ何を言っているのかは分からない状態でした。義父であればおそらくこういうことを言うだろう、と想像することは出来ましたが、分かったのは

暑い(40度近い熱が続いている)

ということと

苦しい(経鼻胃管は誰がどう考えても苦しい)

ということだけ。
私は遣り切れない思いで
義父の身体をさすって、病室を後にしました。

この日の朝の医者の話では、その日のうちにあるいは・・・

ということだったので夜のあいだずっと気にしていたのですが、その日の晩は何ともありませんでした。

翌日も、いつ連絡があるか、心配しながら過ごしていたのですが、その日も連絡はありませんでした。

さらに翌朝。
私は義父のあまりに苦しそうな様子が気になって仕様がなく、夫に

お義父さん、あのままで良いの?
あんな苦しそうなまま、死なせてしまって良いの?

と聞くと、夫も

「実は俺もそう思っていた。

今日の面会時間に親爺の意識がまだあるようであれば意志を再確認して
場合によっては、管を抜いてもらおうと思う」

夫が病室に着くと、義父はもう
意識レベルがかなり下がっていたそうです。

前回会った時に、義父は最後の最後までひとり残すことになる
義母のことを心配していたので夫が

「親爺、母さんのことは大丈夫だから。
もうこれ以上頑張らなくてもいいんだよ・・・」

と伝えると、その言葉を待っていたかのように息を引き取った
と後で夫から聞きました。
これだけを聞くと、まるで作った話のようですが
嫁の私からすると、責任感の強い義父らしい最期だった、
彼は彼の役割を最期まで全うして亡くなったのだなあ、
そう思います。

で、です。

私自身は、もし自分がこのような状況に陥ったのであれば
経鼻胃管は望まなかったと思います。
ただ、書面にこそしていなかったものの、延命治療を望まない
と言っていた義父が、経鼻胃管をすることを了承したことももっともで、
と言うのも、おそらく彼はまだ全く

死ぬつもりはなかった

ので、あれほど苦しい経鼻胃管も「してほしい」と言ったのではないかと思うのです。義父がどこまで分かっていたのかは不明ですが、そうだったのではないかと思う。そして、それを了承した夫についても、あの状況であればまあ無理はない、とは思います。

で、です。

最終的な義父の死因は

敗血症

でした。
敗血症・・・

敗血症とは何かといえば

定義:
敗血症は何らかの細菌やウイルスに感染する“感染症”が原因で、全身に感染が広がって発症します。そのため、敗血症は誰もがかかる可能性があり、特に高齢者や赤ちゃん、持病を持っている人の場合は敗血症になる可能性が高くなります。

とのこと。要するに最終的には全ての人が心不全で亡くなる
というのに近いような話で、何かの菌が全身に回って亡くなった
ということを言っているだけであり、
そもそもの原因の話がすっぽ抜けている・・・

入院当初から、何なら入院する前の
「お風呂で足が立たない」という時点から
こちらにしてみれば、何だか訳の分からないまま症状は全く改善せず
あれよあれよという間に死に至ってしまった義父の

「病」

とも言えない

「元凶」

というか

「アレ」

が何だったかというのが義父の死後
ゆるやかに明らかになっていったのですがそれは・・・

蜂窩織炎(ほうかしきえん)

というものでした。

んあ??
ほうかしきえんってナニ?

気力が続かない笑
以下次号・・・