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【復刻版】放射能汚染・5年目のチェルノブイリ 【第7回 サポロジエ原発とチェルノブイリ原発】

【この記事は復刻電子版です。最新の記事・情報ではありません】1990年に取材。同年11月に集英社・週刊プレイボーイで連載した記事を編集しました。※当時の「白ロシア」は「ベラルーシ」と表記しました。

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チェルノブイリ原発は、危険な原発だったのだろうか? 事故が起きたとき、世界各国の関係者は、原子炉の型が違うから、自国の原発は安全だと説明していた。今回、チェルノブイリ原発と同じウクライナ共和国・ザポロジエ原発に入ってソ連の原発の安全性について検証する。
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エネルギーの贈り物。発電所で発展した街

キエフから寝台列車に乗ることになった。キエフ駅の構内を迷路のように歩いて、やっとのことでザポロジエ行き列車のホームへたどり着いた。

私たちはソ連に入国する前に、チェルノブイリ原発と、もうひとつ別の原発を取材したいと依頼していた。別の原発取材については、どこかの原発を指定してはいなかったが、チェルノブイリ原発に行く直前のザポロジエ原発の取材は、私たちにとって理想的な日程である。

これは、ソ連の受け入れ先ノーボスチ通信社が積極的に動いてくれたこと。そして、なによりもチェルノブイリ原発事故が発端となって、ぺレストロイカの加速とグラスノスチ(情報公開)が進んだことが原因だと思われる。

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