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6年前の日

今から6年前の年末年始は、上富良野町への移住前に、未完成の家の床を必死に貼っていました。

私たち家族が前の居住者から引き継いだ建物は、倉庫が半分家になっているような変わった建物で、あと4ヶ月で引っ越しなのに、引っ越し予定の変わった家(というか倉庫)は壁もペラペラの一枚だけで、床も薄い板だけの歪んだもので、水道は通っているもののガスはなく、ストーブも集会場で使うような昔の古いもので、とても気持ちが落ち込む場所でした(当時の写真に写っている私の顔はとても暗い)。

田舎への移住で家を探すのは容易ではなく、また農業をするための農地もなかなか手に入らない中、とある変わったおじさんが、家(というか倉庫)と畑と納屋と機械類を、一式格安で譲ってくれたのでした(でも田舎あるあるで、大量の不用品も一緒に)。

古い家を手直しして暮らすことが流行っている中、私たちは必要に迫られて、家を作っていくことになりました。

6年前の元旦は、朝が外気温マイナス15℃ほどでした。寒かったので家の中にテントを張って、まだ小さかった長女と夫と三人で、寝袋で寝泊まりしていましたが、朝の室温はマイナス5℃。ストーブの暖も、隙間風でどこかに行ってしまうくらいでした。

まるで開拓の人たちみたい、と思った記憶があります。もちろん、本気で開拓した人たちは、もっと凄まじい生活だったはずです。でもその時は、これから現代の人として暮らしていけるのだろうかと、もやもやと思っていました。引っ越してからも最初の年は、冬は毎日お風呂場が凍っていて、掃除をするにもお湯で溶かしてからだったことが懐かしいです。

今は、どんなに外が寒くても、室温が10℃を下回ることはありません。毎年冬になると徐々に家を改築しているので、もう隙間風は吹かないし、床は厚く張ってあるし、ガスも通って、ストーブも新しいものになりました。

この6年間、本当に色々なことがあって、仕事も生活も前進しているのか何なのかよくわからなくなることもあるけれど、思い出してみれば、スタートの悲惨さから比べれば、今は天国のようなのです。毎日必死で過ごしていると、変化があっても自分ではわからなくなってしまいます。でも、ふとした節目のときに思い返してみると、ずいぶん遠くに来たなと思うことがあります。子供は一人から二人に増え、友人や尊敬できる先輩が増え、面白い仕事をしている人達に出会い、変わったおじさんから引き継いだ畑でたくさんの野菜を作って販売することが出来るようになりました。

明日の朝の気温の予報はマイナス21℃。富良野地域は冬は本当に寒いのですが、その寒さだからこその澄んだ景色を、楽しもうと思います。


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