日ソ共同宣言の交渉秘録から今回の北方領土交渉の意味を考えてみる

「モスクワにかける虹」という本を久々に読んだ。これは日ソ国交回復の交渉の矢面に立った松本俊一氏による秘録である。著者の松本自身は本の中ではずっとブレることがない。その思想は「歯舞・色丹・千島列島・南樺太は歴史的に見て日本の領土と考えるが、交渉には弾力性を持ってあたる」というものだ。

この日ソ共同宣言が結ばれる直前、日本側は「領土問題の処理を含む平和条約の締結に関する交渉を継続に同意する」という文言をソ連側に提案。日本側としては「二島「返還」+継続審議」に拘っていたのだ。
しかしソ連側がそれに対して難色を示し、最終的には、「領土問題の処理を含む」という言葉はそぎ落とされた。
その上で、「ソ連邦は歯舞群島及び色丹島を日本國に引き渡す事に同意する。ただし、日ソ間に平和条約が締結された後に引き渡されるものとする」という言葉だけが残った。最後の最後、妥協に妥協を重ねた上で辿り着いたものが「歯舞・色丹のみの「引き渡し」」だったのだ。

日本側が引き渡しという言葉を認めたということは、「ヤルタ協定やポツダム宣言、SCAPIN677号などによって、南樺太、歯舞、色丹を含む千島列島の問題は解決済み。しかし日本に歯舞・色丹を引き渡す(譲渡する)」というソ連案を最終的には飲んだ形での文章が残ったということ。しかも国後・択捉の継続協議の可能性を残す文言は削られて残っていない。

今回、安倍首相は「日ソ共同宣言」に基づく交渉としているということは、これまで日本がずっと堅持してきた考えを捨て去るということ。つまり「第二次大戦の結果」を認めるということ。ハフポストにも記されているが、共同記者会見をしたくなかったというのは、それを日本国民に広く流布されたくなかったと考えるのがやはり妥当だろう。

https://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-sekine/meeting-taro-kono-sergey-lavrov_a_23641820/?ncid=other_huffpostre_pqylmel2bk8&utm_campaign=related_articles

ハフポストの記事には、第二次大戦の結果を認めるということで、竹島や尖閣での交渉に影響を及ぼすと書いてあるがこれに関しては、まったく賛成しない。というのも、竹島は朝鮮戦争の最中、韓国がどさくさに武装占拠したものだし、尖閣はずっと日本が所持してきた歴史があるからだ。

今回の交渉案を日本が受け入れるということは、ある意味、戦後日本の方針を大転換するものではないか。領土の帰属が日本のものになるかよりも、この言葉の意味の方が実はずっと重いのではないか。とはいえ、いい加減、これは解決すべき懸案だったのだから、私としては英断だと思う。

追記:ダレス国務長官が脅したために領土問題が解決しなかったという話があるが、この本を再読して考えを改めた。「もし日本が国後択捉がソ連に帰属せしめたら沖縄はアメリカの領土とするとダレスに言われた」と言って重光葵外務大臣が憤慨しているのだが、事情はどうもそんなには簡単ではないのだ。
前年に、マリク全権が「歯舞、色丹の「引き渡し」を認める」という話を松本に持ちかけた。それに対し松本は「歯舞、色丹の「返還」をソ連に認めさせた」と認識。その線で行こうとしたところを重光が、「国後択捉も要求せよ」と訓令を松本に出した。その後、重光自らが交渉に乗り出し、二島のみという形で解決を図ろうとしたところをダレスが重光に上記のような警告を発しているのだ。

追記2:北方領土という言葉は見出しには出てくるが本文中には一切出てこない。この本が出たのは1966年。というのも北方領土という造語は日ソ共同宣言が公表された後につくられたものだからだ。ロシア側のコメントが南クリール(北方領土)とよくマスコミで記されるが、わかりにくいので、やめてほしい。ロシアではクリールとは択捉島、南クリールは国後、色丹、歯舞という区分けなのだ。しかも1956年当時、ソ連では歯舞・色丹は小千島列島と呼ばれていたそうなのだ。

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