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記憶の底に埋めた青春【全文公開】

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僕は若かりし頃、いや今も若いのだが、精神的にいまよりもずっと幼かった頃、いわゆる「ヒモ」生活をしていたことがある。「ストリップ小屋」というものが、当時はまだいまよりも息をしており、僕は「ストリッパー」のヒモをしていた。彼女は、副業として他の風俗業やAV出演もこなしていた。そこだけを聞かせると、いささか古き良き「文学」めいた印象を持たれる方もおられるかもしれないが、別に何のことはない。単に二人とも「若かった」だけである。ストリッパー、風俗嬢、AV女優、そういう範疇で「消費」される女性。身体的な「性」に段々と確信が持てなくなりつつある昨今ではあるが、当時、僕は確かにその「ストリッパー」に大いなる「女性」を感じていたと思う。それはフェミニストが頭でっかちに語る「人権解放された女性らしさ」ではなく、「生まれたままの裸の女性らしさ」であった。

それにしても、ストリップ小屋という所は、本当に異質な空間であった。断じて「芸術性」などといった戯言のために存在した空間ではなかった。ただただ男の卑しい欲望が窒息しているような掃き溜めであった。にもかかわらず、舞台での「舞い姿」には明らかなハレがあった。性風俗に関しては、いまとなってはシンプルに「抜く」ということだけが目的として最適化されているが、ストリップ小屋には「観る」という空気が、確かに存在した。僕の知るストリップ小屋は、おそらく全盛期のそれではないだろう。風前の灯が、遂に消えるまさにその寸前の状態を、僕はギリギリ垣間見ることができただけだったのだろうと思う。しかし、一方で、その「危うさ」こそがより一層存在の「重み」を増していたのかもしれないとも思える。いまもなおストリップ小屋が存在するのかどうか、もはや僕は知らない。

年長者が若者に話をしようと思った時、おそらくこんな話は教育的に「触れてはいけない」ものである。教育とはいかに不自由なものか。しかし、「生まれたままの裸の女性の美しさ」が失われつつある今日において、あの「思い出」は、伝えずに捨てるには、あまりに美しい。多くの付随する記憶がその美しさの多様性を支える。劇場に応援に行くこともしばしばあったが、踊り子の私的な連れ合いである僕と、ファンの男性との間にも、実に奇妙な「交流」というものがあった。ファンにタンバリンを借りて一緒に応援することもあった。愛する者が卑しい欲望にその身の全てを晒す。その姿を見守る。愛情が倒錯する。

こうした「身体的」体験は、体験のバーチャル化が進むいまの時代、確実に失われゆくものだ。僕の気持ちとしては、一方では確かにそれを惜しんでいる。嗚呼、そうだ、昔は良かった。そう感じる自分は、間違いなく存在する。しかし一方で、時代の変化は止められないことも、頭で理解している。だから、僕はかなり強い覚悟を持って、こうした「体験」の葬儀を執り行ない、全てを思い出の中へとパッケージし、そして、それらを記憶の底へ埋めた。誰よりも身体というものへの強い郷愁を持ちながら、その郷愁を生かしたまま埋めたのだ。あらゆる面で強い覚悟を持って、自分の中の「古き良き(身体・アナログ)」を捨てた。

人は、ある意味過去(の記憶)に支えられて生きていると言っても良い生き物である。「古き良き」ものへの郷愁すなわちノスタルジーは、人の「いま」を支えるアイデンティティーそのものである。だから、郷愁を捨てた僕は、アイデンティティー(存在証明)を捨てながら生きていると言える。いわゆる「老害」と呼ばれる人々は、それができない。新しきに馴染めず、ただ古きを良きとしか思えない。しかし、それは実は当たり前のことである。古き良きを捨て去るなんて、こんなにもつらく苦しいことを、生半可な覚悟でできるはずがない。老害にならない老人など稀有であろう。真にノスタルジーを捨て去ることは、人格の崩壊と隣り合わせの危険な行為なのだから。

ただ、願わくば、もう少しだけ、せめてあと10年だけ遅く生まれたかった。その想いは、いつも口にしないでおこうと思いながら、ついつい出してしまう。ひとりの人間の身に背負うには、僕が生まれてから過ごしたこの時代の技術革新のギャップはあまりにも大きい。

暗い舞台上、安物のセロファンが色を落とすスポットライト、そこに強いコントラストで照らし出された肉付きの良い肢体、その匂い立つ美しさ、「それ」が今後の世界において再現されることは、もはや未来永劫ないのだろう。

さようなら、僕の青春。

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