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梨木香歩「不思議な羅針盤」

書店でふと目に止まったこの本。
買って読み進めていくうちに、以前読んだことのあるエッセイ集と気づきました。

梨木さんの小説はいくつか読んでいますが、最近少し私の中でブームになっています。

以前梨木さんの小説を読んだ時は、ファンタジーすぎる印象だったのですが、今の私にはそういうこともあるかもしれない、、と思うようになったのです。
このエッセイ集も、昔読んだ時よりも深く私の心に沁み込んでいきました。

小説やエッセイというのは、内容もさることながら、文体が大切な気がします。
多少内容に興味がなくても文体が好みなら、栄養を取り込むように文章を読み込んでいけます。
そういう意味では梨木さんの文体は私好みなので、文章の力でお話に誘導されたのかもしれません。

さて、このエッセイは、雑誌「ミセス」に連載されていたそうです。
日常の些細な出来事や、草花や動物との関わりが作者の微細な感性ですくい上げられ、美しい文章で綴られています。
そして、日々なんとなく取りこぼしてしまっている感性を拾って再認識させてくれるようなところがあるのです。
それは、癒しのようなものなのかもしれません。

取り上げればきりがないのですが、、
例えば「夢と付き合う」
梨木さんが疲れ切って寝てばかりいた時に夢を見て、その夢をきっかけに立ち直れると確信したお話しです。

夢は人間存在の深い層からのメッセンジャーの役割を果たすことがある。
何がなんだかわからないけれど、心にずしんと響く夢を見た、という実感があるときは、その夢を丸ごと抱きしめる感じで、長く意識のどこかに置いておく方が、「効く」気がする。
訳が分からないながらも、その分からなさを味わうのが夢の醍醐味であろう。けれどそうやって付き合っていると、次第に夢との親和感が生まれてきて、危機的状況になったとき、こちらに分かるだろうカードを投げてくれるように思う。

夢を分析しないで丸ごと鑑賞するというのは、人の心の矛盾や、魂を理論では説明できないということに通じる気がします。
そして、こちらの「カード」はタロットカードと置き換えても納得するものがあります。
私はタロットカードは寝ている時に見る夢と似た世界を見せてくれているような気がしているのです。曼荼羅にも通じる気がします。

そして梨木さんが文章によって織りなす世界は、私が子供の頃に庭で虫や草木と一体になって感じていた原風景を感じさせてくれます。
失われた大事な感受性を思い出させてくれるのかもしれません。
このエッセイ集もそうでした。

今日、自宅のそばで小さな黄色い蝶がひらひらと飛んでいるのを見かけました。
蝶と私の間には一見関連性はないのですが、神羅万象として命のつながりがあるような気がしました。
私が偶然あの蝶を見つけたということは、必然なのかもしれません。
そうやって、世界の裏側でのつながりの要求を、人は潜在的に持っているのかもしれないと思いました。
それを物語という形で示してくれているものに、今の私は強く惹かれるのかもしれません。

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