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岡本太郎展にて考えさせられたこととか

先日、岡本太郎展に行った。初めて岡本太郎の作品を鑑賞してみて素直に思ったこととか考えたことを書き留めたい。

その前に、岡本太郎という人物自体は「自分の中に毒を持て」「今日の芸術」という本を読んだことあったので、どんな人物なのかはなんとなく知っていた。ちなみに2冊とも大好き。

ということもあり、本人の作品をこの目で鑑賞できることがそもそも嬉しい。本で書かれていた思想が作品にこもっているのかな、とか考えながら観れたりした。


岡本太郎の作品を観て感じたこと

率直な感想としては、力強い。人間の人生そのものがパッと映し出されている、そんな感覚。しかもなぜだか、岡本太郎の作品はダイレクトに心に突き刺さる。

捉えどころが無い のが岡本太郎の作品の特徴かなと思ったりした。一つの作品に対して、顔や目や人間や黒い線や色んな色が混在していて、どれか1つだけ見ても全体を通すと意味を見い出せない。でも全体としてはちゃんと秩序が保たれているというか、整っていて、力強さも感じられる。

素直な気持ちで、いいなぁと思わせられた。


問い

考えたことがあった。「不完全に対してどう受け入れたのか」という問い。

岡本太郎は対極主義というのを提唱しているぐらい、相反する2つの事象について常に立ち向かっていると思う。その中で、完全と不完全についても考えているに違いない。

革新的であることが必要な前衛芸術において、未だ見出されていないものを創り出すということは、完全というものは無いはず。常に不完全であり未完成でもある気がする。

デッサンであれば見えているものをそのまま描くことが解であり、ある種、完成されているものを描きとる作業。しかし、革新的であることは完成形など存在しなく、自ら生み出す必要がある。

そんなとき、ここまででオッケイかな。という線引はどこなのだろうか。そしてどうそれを受け入れたのか。

岡本太郎は過去の作品に上から描き足したという記述を展示会で拝見したとき、ふとそのような問いが浮かび上がってきた。


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