ボランティアが去った後。そこまで考えられたらいいんだけど。

タイトル画像:ハートを手で包んだイラスト

ボランティアは、自分のリソースを他者に提供する行動です。無料か、有料か、というのは各国違うようですが、「公共的な目的であること、利益を目的としない」という部分は共通のようです。

自分も幼い時から母親のボランティア活動について行って、たくさんの身体的障害を持つ友達と触れ合うことをしていました。

災害時のような突発的事象、施設や団体などの恒常的な対象、など関わるタイミングも色々あります。提供する内容も色々。

今回、ボランティアとしてリソースを提供中、ではなく、提供後に何が起きるか、を考えてみました。

もちろんありがたい

ボランティアによって提供されるノウハウや労働は、提供される側にとって非常にありがたいものです。

自分たちでは出来なかったことが、「提供中」はできるようになります。

ここまでは、良い事です。

でもボランティアは有限

自発的に何かを提供してくれるボランティアの提供物は、時間も内容も有限です。

もちろん、体制を組んで活動するなど、持続的な提供が行われる場合もありますが、提供される側からのリクエストで永遠に続けられる、ということはありません。

ボランティアの提供リソースは見た目無料

このありがたいリソースを得る対価は、市場の労働価格やノウハウ提供価格に対して限りなく安い。

なので、利用側の負担がないこともプラスになります。

しかし、一つ前に書いたように、リソースは有限。

提供が途切れる時があります。その時にどうなるでしょう。今回気になったのはそこ。

ボランティア終了後に残るもの・残らないもの

ノウハウ

残ります。でも、ちゃんと伝授すれば、という条件で。

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日々の生活で、障害のある方に接してる人は少ないと思います。 幸い様々な方と仕事で知り合い、様々な気付きがありました。その気づきを書いていきます。 一見雑に見えることも書きます。リアルな接触体験は、ヒューマニズムに溢れたものばかりではないのです。 そのため、少しだけ敷居を作らせていただきます。

様々な障害を持つ友人がいて、一緒に活動するだけで、様々な知見が得られます。無力を感じることも。 でも、少しでも自分の気づきを世の中にシェ…

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