【1/36の物語】家を追い出された日。
最近、派遣をしていたのですが、私は、若い子に何故か頼られる事がありまして、ちょっと仲良くなって一緒に帰っていた時に、「僕、鹿児島にいたんですよ」と。
「鹿児島!?から越してきたの?」
「いえ、実家は東京なんですが・・・」
「母親と喧嘩して家出して鹿児島の友達に頼ったんです」
「そこでこの会社に登録して…」
なんて話だして、まだ、若いのに凄いなぁと思ったのです。
そんな私も家出ではありませんが、家を飛び出たことがあります。
そこから、15年。
今も実家には帰っていないし、いや、実家が消失しまして、父親も実の親じゃなく、実母は、再婚していて、戻る家がなくなりました(笑)
そのへんの話は、下のページに書いてあります。
私が家を追い出されたのは、21歳の頃、平成22年の元旦。
20歳の夏。私が代筆をしてしまい、離婚をした両親。
父親が生みの親じゃない事を知ったり、宗教老夫婦にいじめられ、食べるものもなく、やっとの思いで生きて、アルバイトを始めた12月。
その辺りから、父親が「お前はうちの子じゃないんだから出てけよ」と言われ始めました。
家にいれる期日は、なんとなく分かりました。
アルバイト先に「もしかすると仕事を辞めなきゃいけなくなります」
すると、年長の女性パートさんが心配してくれて、事情を話すと、市議会議員さんを紹介されました。
市議会議員さんには、ご飯をご馳走してもらい、空き家を紹介してもらい、けれど、私には何をどうしたらいいのか分からず・・・
大晦日、これが最後に見る紅白かと噛み締めてみて就寝。
元旦の昼。
ドゴンッ、ボン!バシッ!
えっ?痛いんだけど・・・う~ん
顔を上げると自分に殴る蹴るの暴行を加える父親の姿が。
「てめぇいつまでいる気だ!とっととでてけ、オラッ!」
今回は、いつもと違う。。。
そう察した私は、ボストンバッグに詰められるだけ詰め、携帯と1000円だけを持って家を飛び出しました。
行くあては無し。
友人たちに連絡するも、解決策は見つからず、私は、母方の祖父の家を目指しました。
祖父に電話をすると「なにいってんだ?来られても困る!」と。
しかし、本気で行くあてのない私は、祖父の家につくなり、土下座をするように敷居をまたぎました。
離婚の事もまともに知らず、状況の分からぬ祖父と祖父の内縁の妻に、一生懸命事情を説明。
すると、小一時間ぐらいして「一ヶ月だけなら」と言われました。
ここからが、ある意味のスタートでした。
一ヶ月間、死に物狂いで仕事を探し、それに納得した養父が、仕事を決めたら家を紹介してくれるとのもと、今はなきお台場パレットタウンにあったトヨタMEGAWEBにアルバイトで入社しました。
養父には、家を紹介してもらい、祖父にはお金を借り、新たな生活が始まりました。
最初は、大変で、お金がなさすぎて、1日1食。それも、ろくなご飯にありつけず、お米も買えず…。
初めての給料日まで、精一杯。
仕事も接客業で、ド緊張。
いろいろあって、右も左も分からない社会に飛び出しました。
そんな今も1人暮らし。
同棲したりいろいろいろいろありましたが、それはまた今度。