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もたあすに走る稲妻

その子は障害があるというわけではないのだけれど、知的発達が遅れていて、コミュニケーションが取りにくい。語彙も少なく、発音も不明瞭で聞き取りづらい。
また他の子への噛みつきやひっかきがあるため、目を離すことが出来ない。
思い通りにならなければ大泣きする。ルールの理解が弱く、個別の支援が必要だ。

そのため必然的に他の子に比べて圧倒的に関わる時間が増える。とてもかわいい子で、関わることは嫌ではないのだけれど、目を離さずに常に一緒にいることの心労は大きい。

だが、関わる時間が増えれば、それまでは分からなかったその子の考えや、言葉、行動の意図が読み取れるようになる。分からなかったことが分かる。通じ合える瞬間というのはとても嬉しいし、気持ちのいいものだ。

ある日の午後、彼はブロック状に固まった砂をバケツにいくつも集めていた。
午前中は他の職員と同じように遊んでおり、その続きだったため状況が分からなかったが、本人がぼくの肩を叩きその砂の塊をさして「かせき」と言うので、砂を化石に見立てているのだなということは分かった。

次に彼は一番大きな砂の塊をさして、「もたあす」と言った。

…?

これは正直全く意味が分からなかった。ピンと来る言葉もなかった。でも分かってあげたい。必死に考えを巡らせて、正解を探す。

「…もっとさがす?」
もっともそうな言葉を見つけ聞いてみる。
彼は残念そうな顔をして「いない(ちがう)」という。

「もちあげる?」
「😑いない…」

「もっと…あつめる?」
「😩いない!」

お手上げ。分からない。彼は残念そうだ。この程度で大泣きをして荒れるということはないとは思うが、何がきっかけになるかは分からない。
そして荒れるとか荒れないとか、それはそれとして、とりあえず、何を言ってるのか、分かってあげたいなぁ…。

「あ…」

「…モササウルス?」

なんの前触れもなく閃いた。
どこかで見たような、聞いたような恐竜の名前を彼に投げかけた。

「😃もたあす!!」

正解だった。
彼は満面の笑みをこちらに向ける。
その時、ぼくと彼の瞳の間に「理解」という名の稲妻が走ったような気がした。

「そうか、いちばん大きいのがモササウルスなんだね」
「もたあす!」

その後、お迎えの際に母に話を聞くと、家でモササウルスの化石を発掘する映像か何かを見たそうで、家でもその様子を再現して遊んでいるとのことだった。

彼の気持ちを理解でき、通じ合えた。胸いっぱいに込み上げるものがあった。

でも、そんな風に少し理解出来たことで、逆にいつもそうやって彼の気持ちや言葉を理解できてるわけじゃないな、と気づくことにもなった。

例えば先ほどの化石遊びの時、もしも他の子が誤って大きな砂の塊を壊してしまったとしたら。
今のぼくなら怒る彼の気持ちがわかる。一番大きなお気に入りのモササウルスの化石を、不注意とは言え壊されたら、そりゃあ大きな声を出して怒って、暴れたくもなる。
「いやだったよね。モササウルス壊されてやだったね。」と彼を慰めつつ、
「これはこの子にとって大切なモササウルスの化石だったんだよ」と壊してしまった子に伝えることが出来ただろう。

でも、もしそれがモササウルスだって分かっていなかったら?
彼と思いを通じ合わせることが出来ていなかったら?

沢山ある砂の塊の“たった一つ”を壊されたくらいで暴れ回る彼を制止し、
「そんなひとつくらいで怒らないの」
「他にもいくつも持ってるでしょ?」
等と伝えたんじゃないだろうか。

…むしろ、いつもそんなことの方が多いのかもしれない。

そう考えると、いつもは分からなくてごめんって思うし、本当にまだまだだな、と思ったりもする。

だから、ぼくは彼の気持ちや言葉をもっと理解したいと思う。気持ちが通じ合う瞬間を増やしていきたいと思う。

そうは思うが簡単なことではない。
あの、“もたあすの稲妻”は、そうそう現れるものじゃない。

繰り返し繰り返し、関わりから逃げずに、向き合ってぶつかって、思いを寄せていく。
そんな日々を、それは大変な毎日だけど、がんばって重ねていく。

その繰り返しの先にしか、きっと稲妻は走らないのだろうと、思う。

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