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長年の目標が現実になろうとすると、怯んでしまう自分がいる

41歳の時から海外への一人旅をはじめて、4年間で色々なアジアの国を回ってきました。「次はヨーロッパだな。ということはイタリアだな」そう決めて、Twitterやブログなどでひっそり宣言していました。

「次はイタリア行こう…」と心に秘めたままでいるより、表に出したほうが断然、実現の可能性は高まります。宣言することで目標に現実感が出てくるのと、単純に後に引けなくなるというのがあるんです。


今日の午前中、時間があったので、ふとイタリア行きの航空券を調べてみました。飛行機チケットというのは、シーズンによって価格が変動します。早く取れば取るほど安くなると思っていたので、「秋ぐらいなら安いかな」と思ってみたら…。GW明けの5月がかなり安いとわかりました。

自営業で時間が自由になる身。なるべくなら安い時期を狙っていきたいです。でも5月って、ひと月後ですよ。「あまりにも急じゃないですかね?」と戸惑ってしまいました。

そのことをTwitterに書くと、イタリア出張へ頻繁に行っている友人から、「ポチしちゃってください。この季節がくるのは今年一回限り」と最高の後押しが。「そうだよな。怯んでる場合じゃないよな」と行くことにしました。


自分はイタリアへ20代の時から行きたいと思っていました。イタリア料理のコックをやっていた時期が少しだけあり、イタリア料理の美味しさに感動して「ぜひ本場で食べたい」と恋い焦がれていたんです。

コックはその後やめることになり(今考えると、根本的に向いていなかった)、すべての人と同じように色んなことが人生に起こり、現在に至っています。時間という斧は、毎日無慈悲に振り落とされます。イタリアへ行きたいと思ってから、すでに20年が経っていました。


海外へ一人旅するようになったのも、「いつかはイタリアへ」と思ってのことです。アジアで旅慣れて、その後、ヨーロッパ。旅の終点に、満を持してイタリアへ。そんな風に、無意識にストーリーを組み立てていたんです。

それが「来月行くことになる?目標の実現がすぐそこまできちゃってる?」と思ったら、なぜか怯んでしまう自分がいたのでした。そもそも行きたい場所であれば、「アジアで旅慣れて」なんて無駄なことです。やりたいことから順にやっていくべき。

この怯んでしまう気持ちはどうして出てくるんだろう。一つの考えが浮かびました。憧れていることがあるときは、それを追いかけている時がいちばん楽しい。そこに踏みとどまっていたくて、ブレーキが掛かるのではないかなと。


イタリアへ行きたいと思い、それに関する雑誌を見たり本を読んだりして思いを巡らす。イタリアへ行ったという人の話を聞き、「いーなー。自分もいつかは行ってみたい」と話したりする。

「いつか行ってみたいな(まだ行けないけど)」という道半ばの思いを胸に、頭のなかでイメージを膨らませているとき。それは、とても幸せです。なにしろ、リスクがゼロ。そして目標へ向かって努力している前向きな気持ちにもなる。

でも、それが叶ってしまうと、失うものが多いんじゃないか。次に行きたい国は見つかるのか。海外一人旅のモチベーションが下がってしまうのでは。

そうやってやりたいことをイメージしている時間が心地よくて、いつまでも引き延ばしたい感覚に襲われているんじゃないかと。


ここまで書けば、自分の中で次にやるべき行動は明らかです。イメージとは、やりたいことを実現するためのものです。イメージすること自体を目的化してはいけない。

ということでこの記事を投稿後に、航空券をポチってきます。Ciao!



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