ようやっとのことで

 有名なジョークに、沈没しそうな客船の乗客に船長が非難を促す、というのがある。
アメリカ人には「飛び込めば、ヒーローになれますよ。」フランス人には「たくさんの女性からもてますよ。」ドイツ人には「飛び込むのがルールになっています。」そして日本人には「他もみんな飛び込んでますよ。」

 日本人の特性を上手くとらえたジョークだ。かつて国連で仕事をしていたときも、日本人であることからそんな冷やかしを受けたこともあったっけ。

 そんな日本がようやっとのことで、2050年のCO2排出ネットゼロを宣言するという。気が付いてみれば欧州は着々と政策実現への道程を辿り、米国各州も同様の動きを見せている。さらには2060年という少し遅めの目標ではあるが、中国もネットゼロを目標とすることを宣言した。まさに「他はみんなやってますよ」状態なのである。

 予兆めいたものはあった。最近になって経済産業省が「東京ビヨンド・ゼロ・ウィーク」と銘打ったイベントを実施したのだが、そこではカーボンリサイクルやTCFDなど、民間企業の参加を促す仕掛けが満載で、役所の本気度がにじみ出ていたこと。先行的に、日経新聞が10月8日の朝刊に川口健史記者の署名入り記事で、再生可能燃料を混ぜて燃やすことで低効率の石炭火力発電所が技術的には高効率発電所へと変貌する(!)という数字のトリックが可能なことを伝えている。

 世界が動き、環境省や金融庁からのシグナルも強まる一方で、ついに経産省が動いた、という絵姿に見える。しかしながら、その中身はと言えば既存の火力発電所は温存・活用する(そうできる)、ただし低効率の施設について新設はしないというものにすぎないのではないか。そこまで周到に外堀を埋められては、さしもの電力業界も黙らざるを得なかったということか。

 それでも、コミットメントが持つ意味は大きい。なぜなら2050年ネットゼロ、は生半可なことで達成できる目標ではないからだ。達成のために各業界が背負わなければならない削減義務はリープフロッグどころの話ではない。

 具体的な事例として、欧州が今年末の法制化を目標に準備を進めている「EUタクソノミー」を参照してみよう。現在、気候変動の緩和・適応分野に関する具体的な案が公開されているが、それを見ると発電事業では1,000kwhあたり100kgを超えるCO2を排出する発電施設には融資などの便宜が提供されないことになっている。

 これは風力・太陽光など再生可能エネルギーでないと達成できない水準の値だ。ちなみに環境に優しいと言われるLNGコジェネでも400kgくらいのCO2が排出される。同様に鉄鋼生産についても、電炉で炭素鋼1トンを生産するためのCO2排出の閾値は283㎏とされている。メカニズム的にCO2排出が多くならざるを得ない高炉製鉄は言うまでもなく、CO2排出が比較的少ないと言われている日本の電炉でもトンあたり300㎏くらいのCO2は排出されているので、今のままではEUの基準を満たせない事業所が出てくることが懸念される。

 さらにEUは、タクソノミーの基準値を5年ごとに厳しくしてゆくことで2050年のネットゼロを目指す、としている。自動車も、内燃機関を使ったクルマの販売は、2025年以降同様に融資検討の対象から外される圧力が働く。つまりCO2を排出するかぎり、対象業種の企業は常に見直しの圧力に晒され続けることになるのだ。

日本が辿ろうとしている道は、EUのそれと同じである必要はないと言われればそうかもしれないが、たどり着くべきゴールが同じだとすれば、必然的に同水準の努力が求められるようになるはずだ。確かにCCS(二酸化炭素の捕獲・貯留)技術やメタン化などに代表されるカーボンリサイクル、あるいはカルボ酸鉄を使った海藻によるCO2吸着促進などによって削減義務が緩和される可能性もゼロではないが、これらの技術はいずれも社会実装前の段階にある。

技術開発投資も相当大きなものになると思われるが、政策決定が先行する以上、CO2対策は待ったなしの優先課題になる。民間企業にとっても新たな事業機会が訪れることになる。もしこれらが図面通りに動き出すとするなら、令和3年・2021年は日本の気候変動対策が本格化した年として歴史に残る年になるに違いない。

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