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インベーダー・フロム・過去 【3/11】

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「どうしたの? ……会社休とか、珍しいじゃん」公一は帰ってきて開口一番、そういった。「熱でもあるんじゃない?」

 公一が布団の中にいたわたしのおでこを触る。
 ちょっと冷たい手だった。

「………ううん。大丈夫…」わたしは先に言った。確かに身体は熱かったが、熱があるわけではない。「ごめんね、今から御飯作るから……」

 布団から出ようとするわたしを、公一が制した。

「いいって……具合悪いんだろ? ……おれがなんか適当に作るから……」

 公一は本当に申し分のない夫だった。
 優しいし、わたしには本当に細かな心配りをしてくれる。

 わたしは幸せだった。

 ただ、わたしたちの間にはあまり夫婦生活がない。

 公一は本当にセックスに関して淡泊だ。
 あんまりその頻度を口にするのはなんか欲求不満みたいでイヤだけど、セックスは月に1回あるかないか。

 だからといってわたしは、ほんとうに、ほんとにほんとに、不満を感じている訳ではない。
 いや、そういう訳ではないと信じたい。

 セックスがあるかないか。それが夫婦の幸せを左右するものであるとは考えたくない。

 セックスは結婚生活のほんの一部だ。
 だから、わたしはセックスのあまりないこの生活を不完全なものとは思わない。
 

 公一が簡単だけどおいしい料理を用意してくれた。

 卵とトマトの中華風炒めものに、サラダ。
 おみそ汁はインスタントだったが、ご飯はちゃんと炊いてくれた。

 それを食べてわたしは少し幸せな気分になる。

 公一はいろいろと、仕事先であった面白い話をわたしに披露してくれた。
 わたしはそれを笑いながら聞き、相槌を打って楽しい一時を過ごした。

 しかし心の中では、なにか整理できないものが、喉の奥に刺さった魚の骨のように引っかかっていた。

 こんなに幸せを自覚しているのに、それでもしょっちゅう見る、あの夢は一体何なんだろう。
 そして、今朝、電車の中で味わったあの背徳的なキモチヨサはなんなんだろう。
 
 人間というのは本当に多面的な存在だと思う。
 ある面では幸せなな生活に申し分のない喜びを感じているかと思えば、もう一面では無意識にしろ背徳的な快楽を夢見て、それに愉悦を感じている。

 食事のあと、公一と一緒にお風呂に入った。
 結婚3年目でまだ一緒にお風呂に入ってる、っておかしい?
 単にガス代の節約なんだけど。

 お互いの裸身を見ても、お風呂の中ではそれぞれセックスに対する欲望を抱くことはない。
 日常的にしていることだが、その日はそのことが不思議でならなかった。

 
 寝る時間がきて、わたしたちは寝床の中で、眠るまでの一時をおしゃべりをして過ごした。

 その時に……ふと、わたしの心の中に妙な考えがよぎった。
 その事を話題にしてみるべきか一瞬迷ったが、迷っているうちに、ひとりでに言葉が飛び出していた。
 

「ねえ………………わたし、今朝電車で痴漢に遭っちゃった…………」

「え?」それまで仰向けに寝ていた公一が、体を反転させ、わたしの方に向き直る「なんだって?」

「……だから……朝の通勤電車の中で、痴漢に遭っちゃったの」

「……今日は、仕事休んだんじゃなかったの?」

 公一はいつになく真剣な表情だった。

「……うん……電車には乗ったんだけど……そこで……けっこうヒドい痴漢に遭っちゃって……」

「……」

 公一は応えなかった。
 目が真剣な色に変わっている。
 わたしはほんの少しだけ、怖くなった。

「……で……なんか仕事に行く元気がなくなっちゃって……それで帰ってきたってわけ」

「……ふうん……」

 公一が口だけで笑みを浮かべた。
 しかし、目は笑っていない。
 
 しばらく、沈黙が続いた。
 わたしは意味もなく、このことを口にしたことを後悔した。

「……どうしたの?」

 わたしは不安になって公一に訪ねる。

「……どんなことされたの?」

 公一が真顔で聞く。

「……えっ?」

「……だから、どんなことされたの?」

」「……えっ? ……あの……それは…………えっ」

 突然、公一がわたしの身体を抱きしめた。

 公一はいつになく乱暴な手つきで、わたしの身体を横にして、わたし背中にぴったりと自分の身体を押しつける。

 いつものようにパンツ一枚のわたしのお尻に、ものすごく固くなった公一のものを感じた。

「ひっ……」

 わたしは思わず身をよじった。
 こんなに高まっている公一のアレに触れるのは、ほんとうに久しぶりだったからだ。

 公一はわたしの身体を逃がさないように、わたしの胸のまえに手を回してがっちりと掴まえた。
 荒い息が後からわたしの首筋にかかり、固くなったあれが、さらにお尻に押しつけられる。

「……ねえ……どんなことされたの?」

 公一が耳元で囁く。

「……えっ……そ、そんな……ど、どんなことって……あんっ!」

 公一が、わたしの耳を舐めた。

「……こんなことされた?」

 そう言いながら公一は、ゆっくりとわたしの首筋に舌を這わせた。

「……んっ……」

 それはいつも、公一がわたしにする愛撫と同じ者だった。

 奇しくも、あの「電話の男」が電車でわたしにしたことと同じだったが、それぞれは全然違う。
 夫の吐息を感じて、わたしの身体は鋭敏になる。

「……ねえ……教えてよ……おっぱいは揉まれたの?」

「……ばかっ! す、スケベっ……ね、ねえっ……ちょっと……あっ」

 公一の手がTシャツの上から、ブラジャーをしていないわたしの胸をゆっくりと揉み始めた。

「……あ…もう乳首が固くなってきた……電車でもそうなったの? ……感じた?」

「んっ……さ、最低っ! …………そ、そんな……わけ、ないでしょっ……んっ!」

 わたしは言いながら、頭の中であの「電話の男」がわたしにしたことを反芻しはじめていた。

 Tシャツに浮き出た乳首の先を、公一につままれる。
 びくん、とわたしの身体が波打った。

「……首と胸が弱いからなあ…伊佐美ちゃんは……ねえ、ほんとは感じたんでしょ……?」

「へ、変態っ……そ、そんなっ……そんなわけない、じゃんっ……はっ!」

 布団の中で、わたしのTシャツが胸の上まで捲り上げられた。
 公一は一旦わたしの乳房から手を離すと、両手の人差し指の指先に唾をつけて、わたしの両乳首をこね始めた。

「……んんっ……ふっ……!」

「……ほら、気持ちいいでしょ? ……ねえ、どうだった? 痴漢に触られて、気持ち良かった?」

「も、もうっ! こ、こんなの……や、やめ……てよっ……な、なんだか、変態みたいっ……あっ」

 夫はわたしの乳首を濡れた指先でいじりながら、再び唇で首筋に微妙な刺激を与えた。

 わたしの全身の皮膚が、冷たいものに触ったみたいに泡だつ。
 不思議なことに、さっきまで全然違うと感じていた夫の愛撫が、「電話の男」から受けたものと同じ反応をわたしにもたらしている。

「……どう? ……気持ちいい? ……痴漢にされたのと……どっちが気持ちいい?」

「……ば……か……そ、そんなのっ…………へ、変態っ!」

「……ねえねえ……どんなことされたの? ……やっぱりお尻をこんな風に?」

 公一の手がわたしのお尻をパンツ越しに掴んだ。

「あっ…………!」

 やわやわと、わたしのお尻を揉み上げる公一。
 いつの間にかわたしは太股をすり合わせていた。

「……ほら……思い出してきた?」

「……んっ……くっ……あっ……」

 わたしの中心部が熱くなる。そこがまた、快楽を求めている。
 わたしは肩越しに、公一を睨んだけど…………彼の目があまりにぎらぎらしているのに驚いた。

「……ねえ……これだけだった? ……されたこと…………ほんとに、これだけだったの?」

「……んっ」わたしは妙な気分になっていた。興奮がわたしにその言葉を言わせた。「……ち、違うっ……」

「……違うって、どうなの?…」
 公一がわたしの耳たぶを舐める。

「……そのっ……あ、あっ……の……パ、パンツ……の……中にっ……」

「……ふうん……」
 
 ひと呼吸あって、いきなりパンツの前から公一の手が滑り込んでくる。

「……あっ! ……い、いやっ!!」

 わたしの身体をよく知っている公一の指が、いきなりクリトリスを探り当てた。

「ここも、触られたりした……?」

「……うっ……くっ……ち、ちがうっ……た、らっ……」

「……こんな風にされたの?」

 公一はそこで、焦らすように指をゆっくり、小刻みに動かし始めた。
 
「……んっ……あっ……」

 わたしの腰はもじもじと動いたが、それを公一はガッチリと抑えつける。

「……ほら……正直に言いなよ……こんな風にされたの? ……気持ちよかった……?」

 激しくなっては焦らし激しくなっては焦らし……その繰り返しだった。

 何回も、同じ質問を公一はわたしの耳元で囁く。
 わたしは何度も襲ってくる昂まりをはぐらかされ、すすり泣きをはじめていた。

「……う、うんっ……き、気持ちよかったっ……」ついにわたしは言ってしまった。そして、ウソもついた。「……このまま……いじられて……い、イッっちゃった……」

「……そうか……イッっちゃったのか……」公一はそういうと耳元でクスッと笑った。「じゃあ、今度は僕がイカせてあげる……いいよね?」

 わたしは答える代わりに大きく頷いた。

 もうぎりぎりのところまで追い詰められていたので、ゴールは目前だった。
 指にバイブレーションを加えて、わたしのクリトリスを弄ぶ公一。

 その手つきが「電話の男」と似ているかどうか、わたしにははっきりわからない。
 絶頂がすぐそこだったから、そんなことを考えている余裕はなかった。

「くうううっ!……ん、ん、んあっ…………あああああっっ…………っくうっ!」

 思わず出かけた大きな声をなんとか抑えて、わたしは全身の筋肉を弛緩させた。
 

「……気持ちよかった?」

 しばらくして、荒い息をしていたわたしに公一が後ろから聞く。

「変態っ……ねえ……」わたしは公一の方に向き直って、率直な気持ちを言った「挿れてよ……ねえ」

「……ごめん」公一はあの優しい笑みで言う。「明日、早いから……」

 わたしははぐらかされたみたいでかなり腹が立ったが、それを顔には出さなかった。

 公一におやすみと言う。
 公一もお休みと答えて、わたしたちは枕元の電灯を切った。
 
 
 その夜も、二日連続であの夢を見た。

 翌朝、朝食を食べるわたしと公一の間に、あまり会話は無かった。

 公一はゆうべわたしにした事を忘れたのか、もしくは全く無視しているかで、わたしも敢えて朝からそんな話題を食卓に持ち込む気はなかった。
 
 まあそれは……世間一般の夫婦でも普通の感覚なのではないかと思う。
 他の夫婦たちが朝食のときにどんな内容の話をしているのか、よく知らないけど。

 俯いてトーストを囓る公一の顔をじっと見てみる。

 公一は端正な顔をしている。

 誤解されそうだけど、わたしがまず好きになったのはこの公一の顔だ。
 その後から、公一の優しさや気配り、心遣いといった結婚相手として必要なすべてがついてきた。

 まず、あなたの顔が好きになったんだよ、と言うと、公一は怒るだろうか。
 がっかりするだろうか。それとも喜ぶたろうか。

 公一が出かける時間が来た。
 公一は優しく笑って

「行って来ます」

 と言ってわたしにキスをした。
 
 一人部屋に残されたけど、その日はなぜか、しばらく公一の唇の感触が唇から離れなかった。
 

 部屋の中はしんと静まり返っている。
 わたしが出かけるまでにはまだ時間がある。

 今日も空は晴れ渡っている。
 わたしは何だか不安になった。
 理由はわからない。
 
 と、スマホが鳴り、身体がすくみ上がる。

 恐る恐る液晶を見る。
 やはり“発信者非通知”だ。

 胸があからさまにどきんどきんと息づく。
 着信音の反復が、わたしの鼓動とリズムを合わせているみたいだ。

 電話の主はわかっていた
 昨日も夢に現れた、あの男だろう。

 いや、違う。
 男が勝手に、わたしの夢に現れるのは自分だ、と言っているだけの話だ。

 わたしはスマホを手に取ると、黙って通話を切り、電源を落とした。

 昨日も同じことをしたような気がする。いや、それも夢だったろうか?

 と、今度はテレビ台の上で会社用スマホが鳴り始めた。
 わたしはいわゆる、“二台持ち”だった。


 またわたしの全身が総毛立つ。
 わたしは立ち上がり、ゆっくりテレビの方へ歩いていった。

 会社から支給されてる、青いスマホ。
 わたしはいつも着信をアラームとバイブの両方に設定している。

 テレビ台の上で小刻みに振動するそれは、まるで奇妙な甲虫のように見えた。
 そっと手を伸ばす。
 指が触れ、その振動が伝わる。

 昨日電車の中であの男から受けた、下半身の敏感な部分への愛撫が蘇る。

 それを昨夜、公一から受けた愛撫でかき消そうとすると……今度はその後に見た、いつもの淫らな夢……あの夏の日の、狭い小屋で男にうしろから犯されるあの夢が蘇ってきた。

 スマホは振動を続ける。
 液晶を見た……「番号非表示」。

 電話を切ることもできたろう。
 そのまま電源を切り、その日は2台とも持ち歩かない。
 そういう対処もできたかも知れない。

 しかしわたしは電話に出てしまった。
 なぜか、理性は働かなくなっていた。

「もしもし……」

 わたしの声は小さく、少しだけ震えていた。

「……伊佐美ちゃん?」

 あの男の声。
 低いけど神経質そうな、あの声だ。

「……あなた、一体なんですか?」できるだけ強い口調でそう言おうとしたが、出来なかった。「何のつもりで、こんなことするんですか?」

「……まあ、そう焦るなって。会社に行く時間までに、少しあるだろ?」

「……いやです。もう切ります」

「……おれが誰か知りたくないの?」男が戯けた声を出す。「…知りたいでしょ」

「興味ありません」

 なんとかしなくては。
 電話に出てしまった以上、男のペースに巻き込まれてはいけない。

「……ふーん……じゃあ、なんで昨日またおれの夢を見たの?」

「…………」

 思わず絶句した。

「ねえ……、その前にダンナさんとエッチしたでしょ。」

「へっ? ……はあ?!」

 素っ頓狂な間抜けな声を出してしまった。
 いけない、わたしは平常心を失っている。

「……でも、ダンナさん、挿れてくれなかったよねえ?」

「……ち、ちょっと……ちょっと待ってよ……」

「……どうしたのかなあ、ダンナさん。お仕事が忙しくて、疲れてんのかねえ?」

「……あの……あんた……いったい……」

「……いくら朝が早いからって、そりゃないよねえ……伊佐美ちゃんがまたおれの夢を見ちゃったのも、しょうがないよ……だって、ソレ、ダンナさんのせいだもん」

「……なんで……」

 また全身に鳥肌が立つ。
 この男がカマをかけているのではないことは明らかだった。

「……なんで、そんなこと……」

「……ねえ、昨日の夢のなかのおれと、ダンナさん、どっちが良かった?」

「……はあ?……」

「……まあ、おれもいつも、直前で挿れないからね……ダンナさんと一緒か」

「………」

 そんな。
 なんで、そんなこと?
 ……なんでこの男、わたしの夢の内容まで知ってるの?

「……でも、どうなんだろ。ダンナさんとおれ、どっちが君のこと知ってるだろ……ええと、そのつまり、君の身体のこととか、君がされる好きなこととか」

「…………切ります」

「……ちょっと待って……今日はちゃんと会社行くんでしょ?」

「……あんたには関係ないでしょ!」

 わたしは電話を耳から離そうとした。
 すると男が大きな声を出した。

「……だから待ってって……!!」

「……なんなのよ??」

 愚かにも、わたしはスマホにまた耳をつけた。

「……また、電車で会おう。それでいつか、それ以外の場所でも会おうよ…」男が嗤いながら言う。「夢の続き……したいでしょ、伊佐美ちゃんも。」

 今度こそ有無を言わさず、スマホの電源を切る。
 そしてそのまま、居間の床に放り投げた。

 多分、壊れやしないだろう。
 壊れにくい、頑丈な機種のはずだ。

 心臓がバクバクと息づいている。

 耳の奥でも、裸足で床に立つ足の裏にも、その脈を感じる。

 そこからわたしの鼓動が部屋全体に広がって、部屋を揺らしているようだった。

 目が回った。
 立ちくらみのように、景色が白くなっていく。

 今日も、会社を休もうか……そんなことも考えた。
 でも、休む理由は?

 何とでもでっち上げられるけど、そうすると、わたしはあの男が怖くて会社を休むことになる。

 それはいやだった。

 日常生活に突然侵入してきたこの侵略者に屈するようで、それだけは我慢できない。

 男は電車で会おう、と言った。

 ということは、今日もあの満員電車の中に現れるのだろうか?
 恐怖と、その対局にある奇妙な感情がわたしを支配していた。

 どんな感じ、って言ったら判るだろうか?

 ……子どもの頃にかくれんぼをして、鬼に見つかるまで息を殺しているような、そんな感じ?

 だめだ。ぜんぜんそんな感じとは違う。

 なぜならその感覚を感じているのはわたしの身体で、頭ではないからだ。
 

 わたしはそのまま寝室へ行くと、ありとあらゆるものをひっくり返した。
 布団の中を調べ、押入を調べ、天井を調べ、天袋をしらべた。

 しかし、盗聴器や隠しカメラの類は見つからなかった。

 そうこうしているうちに、家を出かける時間がやってきた。

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