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【安永雄玄執行長インタビュー】第2回・ビジネスマンだった私が惹かれた「仏教の魅力」

昨年8月に本山・西本願寺の事務方トップ、執行長(しゅぎょうちょう)に就任した安永雄玄氏。銀行員からコンサルタント、そして築地本願寺の代表役員へというユニークな経歴を持っています。

学生時代から宗教の世界に興味を持っていましたが、銀行員時代に「自分は銀行員のままで、いいのだろうか」と悩み、本格的に仏教を学び始めます。ビジネスマンだった安永執行長を惹きつけた「仏教の魅力」とは何だったのでしょうか。

■プロフィール
安永雄玄(やすなが・ゆうげん)
1954(昭和29)年、東京都出身。慶応大経済学部卒。1992(平成4)年英ケンブリッジ大学大学院博士課程修了(経営学専攻)。三和銀行(現三菱UFJ銀行)、米人材コンサルティング会社を経て経営コンサルティングの島本パートナーズ社長に就任(後に会長)。2005(平成17)年に得度して僧侶に。2015(平成27)年に築地本願寺の宗務長(しゅうむちょう)に抜擢され、ビジネスマン出身の僧侶として築地本願寺の改革を行った。昨年8月に西本願寺の執行長(しゅぎょうちょう)に就任した。著書に『築地本願寺の経営学』など。

▼安永執行長のこれまでの歩みについては、ぜひこちらをご一読ください。

ーー前回は京都の魅力について伺いましたが、今回は仏教についてお話を伺います。仏教のどのようなところに魅力を感じて、ビジネスマンから僧侶になられたのでしょうか?

宗教の道に進もうと考え始めたのは40代です。当時、銀行員としての自分に悩んでいたこともあり、かねてから興味のあった宗教の世界を勉強してみたいという気持ちが漠然とありました。その後、銀行員からコンサルタントに転職し、銀行員時代よりも時間に余裕ができたので、知的好奇心に任せるままに、さまざまな宗教や自己啓発の研修などを受けに行きました。

さらに仏教について学び続ける中で、仏教は一つの宗教的な体系というより、お釈迦様が説かれた人生哲学に近いんじゃないかなと感じるようになりました。一神教であるキリスト教は、ただ一人の神様がこの世をつくっていて、人間はその神との契約をすることではじめて天国に行ける。いわば神様が絶対的な存在なんです。

それに対し、仏教はこうすれば救われるという道筋は宗派によって多様であり、絶対に〇〇しなきゃいけないということはないんですよ。信仰の多様性を認めるなど、その許容力が僕が仏教に感じた魅力であり、これまで多くの人に受け入れられ今の世まで続いてきた理由ではないかと思います。

ーー安永さんが執行長であること自体が、多様性を認めている証拠でもありますよね。

そうですね。お寺に生まれ育ってはいない私が仏教の勉強をし、今は宗教者として仕事をしてること自体がその証ですよね。最初から信心深かったわけではなく、これまでの人生で色々見たり聞いたり、考えたり信じたり、信じなくなったりして最終的にここにたどり着いた。そんな私でも仏教の観念の中では受け入れられている訳です。多様性を認めるところは、仏教の非常に良いところだと私は思います。

ーー浄土真宗に対しては、どのような魅力を感じていらっしゃるのでしょうか。

京都にはかつて都があり権力者がたくさん住んでいたことから、多くのお寺はそういった貴族や武士などの権力者が寄進して造られたんです。しかし浄土真宗のお寺は、本堂を広くとって庶民が参拝することを意図して造られています。つまり門信徒(信者)のために造られたお寺なのです。

また、さとりを開くことのできる僧侶が人々を先導してお浄土に連れて行くという考えの宗派もありますが、
浄土真宗の場合は、「仏のはたらきによって恵まれた信心によって浄土に往生して仏になる」という考え方です。僧侶はあくまで教えをわかりやすく説明する役割で、皆さんはただそれを受け入れるだけでいい。どんな人にも、という多様性を認めているところが非常に良いところだと私は思います。

ーー仏教に興味を抱き、執行長にまでなられた安永さんのような方もいますが、世間では「寺離れ・宗教離れ」が進んでいると言われてます。

その昔、お寺は子どもが勉強するための寺子屋であり、治療を受けられる診療所であり、村の決め事をする寄り合いの中心でもありました。戸籍の管理などお役所の機能も持っていたわけです。つまり、庶民が困りごとを相談に行く、救いを求めたいときにヒントをくれるそんな場所だった。昔はコミュニティの中心としてお寺が存在していたのに、今はどんどん役割が小さくなって「お葬式とお墓の管理をするところ」だと思われていますよね。

でもシビアな話、その役割だけでは生き残れないと思います。4、50年先を考えると、例えば結婚していない、子どもがいないなどの理由からお墓はいらないという人が増えると思うんです。そうでなくても、立派な墓や公園墓地に入ろうとする人も少なくなっています。家族や跡継ぎがいないからお墓の面倒を見られないというケースも増えているんですよ。

ーー役割が変わってきた今、お寺にはどのような可能性があると思われますか。

浄土真宗では「お金と引き換えに救いがある」のようなことは絶対に言いませんし、積極的に信者をかき集めるようなこともしません。じゃあ何をするのかと言われれば、まずはお寺に興味を持っていただき、足を運んでもらう。そのために来たくなるようなことをつくっていかないと。お寺がもう一度、コミュニティの中心としての役割を持ち、人々に頼りにされる存在になれれば、生き残りのチャンスはまだまだあると思います。

私が築地本願寺で手がけたことは、まずは「開かれた寺であること」。それを象徴する場所として、2017(平成29)年11月に複合施設「インフォメーションセンター」を作りました。カフェがあって気軽に立ち寄れるだけでなく、僧侶が常駐しているので、お葬式やお墓のこと、もちろんそれ以外のちょっとしたことも気軽に相談できる場所になっています。他にも、新たなお墓のかたちとして「合同墓(ごうどうぼ)」や、カルチャーセンター「築地本願寺GINZAサロン」を創設するなどの取り組みをスタートさせました。GINZAサロンでは「よろず僧談」という人間関係や日頃の生活の不安など、気になるあれこれを僧侶に相談できるんですよ。

築地本願寺カフェ Tsumugi

ーー例えば京都と東京、小さなまちと都市部でもコミュニティの性質は違うと思いますが、京都・西本願寺でコミュニティをつくるためには、どのようなアプローチをされるのでしょうか。

どの場所であっても人々のニーズは多様なので、ニーズに合いそうな種になることをたくさん撒いて、その反応を見ながら力点を変えていくしかありません。つまり、こちらからあらゆる機会を提供して、京都の人たちがどういうものに興味があるのかをまずは知らないと。仮説を持って調査しないと、それが正しいかどうかすら検証できませんから。

その仮説をどうやってつくるかと言えば、「僕が京都の人だったら、西本願寺に何があれば、どんなことをしていれば足を運ぶだろう」と考えるんです。これまでも自分が想像することを具体的に作り出して、企画し、実行してきました。僕が極めて少数派の考えだったら、今までの企画も成功していない。支持を得たものは必ず残るはずですから、まずはお寺と接点ができるあらゆる機会を提供することが大事なんです。

ただ、本山でやることの難しさは当然あるんですね。そこはこれから京都という土地、そして本山である西本願寺をとりまく様々な環境と関わりを深めながら着地点を見つけていきたいと思っています。

※表紙画像:名勝滴翠園内、飛雲閣前にて撮影

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