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【不文律】から見える「声を上げる」ことの大切さ

「伝統」という鉄壁に守られていた(いる)不文律

今朝(9/12)のニュースで下記をご覧になった方はいるだろうか。

100年以上の伝統ある格式高い宝塚音楽学校における、これまで下級生に課せられていた不文律や「伝統」を、社会の価値観の変化に伴い、廃止や緩和に踏み切ったというニュースだ。

筆者は宝塚について詳しくないが、今回の不文律を廃止したことについては、全面的に賛成する。
例えば、

・遠方にいる上級生に対して大声であいさつしなければならない
・規則違反の際には当事者だけではなく他の人も同じように謝罪しなければならない

という不文律は、今回は「宝塚音楽学校の~」という前置きがあるため、これまでの不文律をなくすことに対しての意外性を感じたり、クオリティが下がってしまうのではという反対意見も聞こえたりしてきそうだが、この前置きがない状態で上記の不文律をもう一度見ると、

「トップダウン型の体育会系企業」
「パワハラがはびこっているブラック企業」

に蔓延している不文律と同じようなものだと筆者は考える。

具体的には以下のようなことである。

・遠方にいる上級生に対して大声であいさつしなければならない
⇒「静かにしなければいけないところでも大声を上げるように」と解釈でき、TPOという社会の要求に矛盾している。また、体育会系組織にある「先輩は絶対だ」という固定観念を植え付けられ、自分から意見を発する機会が奪われ、自分らしさが喪失される恐れがある。

・規則違反の際には当事者だけではなく他の人も同じように謝罪しなければならない
⇒いわゆる「連帯責任」という日本特有の責任の取り方であるが、これが悪用されると「他人または特定の人に対する責任の押し付け」というパワハラ体質を生み出す可能性がある。これが進むと、今度は逆に誰も責任を取りたがらない「責任の所在が不明」な状態となり、組織的にマイナスに作用する恐れがある。

いくら伝統ある世界とはいえ、「社会の一員」であることには一般の企業・学校と相違ない。時代に合わなくなり、社会の要求と異なるルールが存在しているならば、即座に改善すべきだと思う。

逆に「働き方改革」や「日本型雇用の見直し」などいわれている中でも、今回のような施策が行われなかったのは、「伝統」という強固な鉄壁に守られていたため、不文律に対しても改善どころか、疑問に思うことすらなかったのではないかと考える。「伝統」を大切にする日本にとって、その世界独自のルールは社会の要求よりも優先されることもある。社会とある種「隔離」されている状態であるため、内々に決まっていくルールが出来上がり、それが不文律として後世まで引き継がれていくのだろう。

「声を上げる」前に「疑問に思う」意識を持つこと

今回は宝塚音楽学校を例に紹介したが、このような「組織独自の不文律」というのは組織にいる人であれば少なからず存在しているだろう。
例えば、会社の人事考課では「より多くの時間働いたものを評価する」「経営陣や上司に忠実なものを評価する」といった評価項目が、考課シートには記載されてなくても、評価者の中での暗黙のルールとして不文律となっていることが挙げられるだろう。

当然このような理不尽な不文律はすぐに改善しなければならないが、「改善せよ!」と声を上げる前に、まずその不文律に対して「疑問に思う」ことがなければ、改善への道は拓かれない。上記のように「(このルールは)伝統だから」といわれて納得してしまったら、そこで終わってしまう。まるで、数学の問題に対して「どうしてこのような計算になるのですか?」という質問に「公式だから」と一言で片づけられて、いまいち腑に落ちないものの、自分で無理やり納得させているようだ。

組織に入っているからこそ、「常識を疑う」気持ちで就業規則などの会社独自の規則や従業員の中で当たり前となっている不文律に対して、批判的な分析を行ってみることが大切だ。また、友人などから社外のルールを聞いてみたり、働き方に関するビジネス書を読むことも、疑問に思える意識を形成するのに役立つ。

「声を上げよう!」それでもダメなら・・・

疑問に思うことができたら、1人のひとつの意見として周囲に発言していくことが大切である。すぐには改善できないとしても、発言を続けることで、改善の契機となっていけば、それは個人及び組織の改善として貢献したといっていいと思う。

しかし、どれだけ意見を練って発言したところで、改善の動きが見られない場合は、外部の組織を利用してのアプローチを行うか(=コンサルの意見を入れる)、自分から組織を離れること(=退職・転職)も選択肢に入れることも考えたほうがいいだろう。いずれにしろ、これまでの組織との関わり方から変更していくことで、自分がいつまでも理不尽な不文律にとらわれないようにすることが大切だ。


もっと言えば、そもそも「不文律」というものが存在すること自体が問題なのではないかと思う。不文律に関しては、元々記事にまとめたかったので、近日不文律そのものについて述べていきたいと思う。

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