教師の働き方改革の副作用
「仕事とは、自己実現だ。子どものためとか、そんな妄想はやめた方がいい。」
後輩教師が、更に後輩教師に語った言葉である。
つまり、簡単に言えば、自分のために働いているということだろう。
そうかもしれない。
金をもらうために働いている。
地位や名誉のために働いている。
夢を追って働いている。
それには、同意する面もある。
だが、子どものためが妄想というのか。
その後輩教師だけではない。
近年、働き方改革の流れの中で、教職は子どものためという名目で膨大な量の仕事を自ら与え続けてきたとか。
子どものために、教師に死ねと言ってるのかとか。
残業代も出さないくせにとか。
定額働かせ放題とか。
こんな言葉は、TwitterなどSNSの中で、山ほど見られる。
事実、過労死ラインを越えている教師が何割か調べてみれば大変さが分かる。
今回のコロナの件で、
いかに家庭の教育力に格差があるか。
生活習慣すらまともに教えられない親。
ゲームばかり与える親。
虐待する親。
親から余裕をなくさせた社会。
日本の教育がいかに教育水準を均一に保ってきたか、再認識してもらわないといけない。
教師が担う仕事量は本当に多い。
6月1日からの1週間。1日14.15時間は仕事をした。
残業は月45時間以内におさえないといけないため、早く帰るが、持ち帰り仕事は膨大だ。
土日も、仕事をした。
残業代は一律、1ヶ月の給料の4%。
さぼってる人間も頑張っている人間も給料は同じ。
若い人の方がよっぽど働いている場合でも、年功序列。
そりゃあ文句も出る。
でも、子どものためが妄想というのだけは受け入れがたい。
仕事は、誰かのためになるからその対価として金銭を受け取っている。
つまり、誰かのためにやらないものは仕事じゃない。
しかも、その「誰か」というのがとても重要だ。
教師の仕事にもいろいろあるが、子どものための仕事以外に、自分達の利権のために学校を利用しようとする輩がたくさんいる。
会社の業績作りだとか、役所の責任のがれのための仕事だとか。
校長のこだわりに付き合わされることだとか。
多忙になったのは本当に子どものせいか。
ずるい大人のせいだろう。
自分勝手な輩のせいだろう。
見極めてほしい。
仕事をしていたら、その仕事によって誰かが幸せになるはず。
その想像ができないような仕事は、やめたほうがいい。
そんなことが続くから、後輩教師のような考え方になってしまう。
教師が、子どものために仕事ができないならやめるべき。
それだけは、はっきりと言える。
ただの金食い虫だ。
世間の流れを言い訳に楽しようとしているだけだ。
効率的にすべき。
業務改善すべき。
でも、忙しいのを子どものせいにしてはいけない。
子どもには何の罪もないのだから。