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心理的安全性を超越した関係性(diary107)

こんにちは!グッド・クルー丹路です。今日は土曜日の投稿です。

最近暖かくなってきましたね!
花粉も杉からヒノキに変わり、僕は相変わらず鼻水をずるずるとしています。病院で薬をもらおうか、ガチで悩んでいます。

昨日は旧HR野村メンバーと仕事終わりに食事に行きました。

野村さん(@naoshi_nomura)
小島さん(@goodcrewkojima)
三品さん(@Mishinakaori00)


大橋さんが亡くなって3年、時が経つのは早いなと痛感しております。
まぁ、昨日の食事で大橋さんの話はほとんど出なかったんですが、上で文句でも言ってるか「全然話してくれないじゃないですか」と嘆いているのではないかと思います。

さて、本日はの内容は‘‘心理的安全性を超越した関係性‘‘です。

昨日の食事で感じたことです。
``心理的安全性‘‘とは、チームが対人関係のリスクを取るのに安全であるという共通の信念として定義することができます。心理的に安全なチームでは、チームメンバーは受け入れられ、尊重されていると感じます(Wikipediaより引用)
ハーバード大学の教授も、「チームのなかでは対人関係におけるリスクをとっても大丈夫だ、とメンバーに共有されている信念のこと」だと定義されていて、気兼ねなく意見を言い合うことができ、自分らしくいられる文化と提唱しております。


自分は自分らしく、この環境にいても大丈夫だ、と自身が認識していることが心理的安全性につながっていると、上記の提唱からも理解できます。
しかし、人は自分らしくいることに抵抗があります。




「自分らしく」と検索すると「難しい」という言葉が関連して出てきます。
下記の記事から一部抜粋しました。


「空気を読む」という言葉の意味を考えると見えてくる。
空気を読むとは「ある空間における『和』を乱さないため、自分の『個性』や『価値観』を殺し、『建前』を使う」行為を指す。かつての日本では「美」とすらされてきたものだ。

「承認欲求を捨て、嫌われる勇気を持つ」
褒められたい。誰にも嫌われたくない。SNSでいいねがほしい。そんな「他人から認められたい」承認欲求を持っている限りは、永遠に自分らしく生きることなんてできない。
他人の期待に沿いながら生きている限りは、自分の人生を歩むことはできない。「嫌われる勇気」さえを持つことが、自分らしく生きる第一歩になる。



自分を捨てる、それが美とされてきた日本の風潮、乱すものは嫌われる、だからこそ捨てられない傾向が強いのかなと。
承認欲求も「欲求」なので、捨てることは難しいとされています。

自分らしく入れる=心理的安全性、と定義できるなら、上記が必要ない環境のことを指します。


話しを戻すと、今回のタイトルは心理的安全性を超越した関係性です。
心理的安全性を超越してるんです。ww

自分らしくを通り越し、誰かの発信に触発されプライベートをさらけ出したりとか(これも安全が担保されているから)
話しの途中で仕事をしたり携帯をいじったり、その作業が終わればまた話し始めたりとか、、、
それでも居心地よく、会話ははずみ、あっという間に時間が過ぎます。

ここまでの関係性も、すぐにできたわけではありません。目標達成するためにみんなで数字を追い、権限移譲があり、責任ある仕事を任され、何回もMTGを重ね、ぶつかり合ってきました。だからこそ「このような関係性」になった、本音で話せる環境だからこそです。

この先ずっと、この会社で働くかはわかりません。どうなるかもわかりません。しかし、このような関係性を他でも作っていけば、どんな状況でも乗り越えられるはずです。

心理的安全性を超越した関係性、多くの人と作っていきたいですね!

また来週!

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