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本が読めなかった

現代文の参考書に載っていた書籍を片っ端から大学図書館で借りたものの、何一つ理解ができず、しばらく学問の世界から離れようとしたことがある。

確かに、私はそれなりに現代文ができたし(得点ができる、と言う意味に過ぎない)、きっと難しい本も読めるだろうという甘い見通しがあった。
が、大学図書館の蔵書の群れには完膚なきまで叩き潰されてしまった。

人文学系の学部に入学し、一年次はずっと教養の授業を受けていた。学問とは先行研究の間隙から新しいことを指摘するものですよ、と後の指導教員に言われたが、当時は何を言っているのかわからなかった。調べ学習との違いがわからず、とりあえず調べたものをまとめてレポートとして出した。まだ学部の一年だったから、可の評価を得た。楽しくないけど、単位取得には足るレポートなら書ける。そうした確信は持っていた。とにかく楽しくないけれど。

山のようにある時間は、サークル活動に溶けていった。学問との両立ができない、と言って辞めていった同期もいた。その気持ちがわからなかった。

テスト期間になると、法学部の友人と図書館に籠って勉強をした。彼女は法曹の世界に入ることを目指していて、きっちり勉強をしていた。私の場合はレポートを完成させれば良かったので、本に栞を何枚も挟んで引用部分を決め、そこから適当に文を練れば良かった。それだけだった。テスト期間は暇だった。暇を拗らせて、当時の交際相手にフラれた。

趣味を読書と書く。好きな作家はいたが、読んだものに基づいて何か書けるわけでもなかった。たいして弾けないピアノを特技に書くようであった。

大学2年になり、専門の授業が始まった。やっと人文学の勉強ができる。そう思っていた。しかし、授業に出てくる単語がわからない。事例研究の面白さを理解するには、理論の理解が足りなかった。そもそも、固有名詞をいちいち調べなくてはならず、私はその作業すら億劫に思った。

ゼミに所属することになった。私は意気揚々とゼミに参加したが、最初のゼミで英詩を翻訳するように言われた。詩人の名前は失念したが、暗い詩だった。…自分の力では詩の暗さを理解することができなかった。小テスト用紙が回収され、ゼミ生の答案が読み上げられる。あれ、思っていたのと違う。
英単語ひとつを取り上げても、まったく正解していなかった。

おすすめの物語を聞かれ、角田光代の小説を答えた。面白かったが、なぜ面白いのか口頭で説明することはできなかった。ほかのゼミ生は、映画やマンガなど自由に答えていく。先生は嬉しそうに頷く。面白さを説明できるようになることが、まず学問の第一歩だと知る。楽しくない調べ学習のレポートを作っていてはいけない。独自の面白さを説明するには相当のインプットが必要だと知ったのも、その時だった。

ゼミの演習では、半期に2本論文を書く。調べ学習の延長のようなレポートを出したところ、「まぁ、それだけだと面白くないから」と言われた。自分で面白くないと感じるレポートは当然、読み手にとっても面白くない。同期は、斬新な切り口で問いを立てていた。きっと、インプット量が全然違ったのだろう。虚しくなった。

体系が確立されていない学問を専攻してしまったがゆえ、ゼミでは理論のインプットは各自の自主性に任されていた。それゆえ、理論系や他分野のインプットはほかの授業をとって補完することになっていた。アダプテーションの授業では、理論を知らなかったことを後悔したし、美術史の授業では作品のキャプションばかりを追っていたことに後悔した。とはいえ、面白さを理解することは難しく、時には授業中に別の作業をすることで、退屈さを紛らわせていた。

三年次、パンデミックが始まる。予定されていたサークルの予定が全て中止になった。新歓のために1年間会議を重ねてきたのに、このザマだ。短期留学が楽しかった、という理由だけで応募した長期留学も辞退した。学生生活の意味が急速に薄れた。

「ここぞとばかりに研究に勤しまれていることでしょう」と旨のメールが教授から届く。確かに、パンデミックの状況下では、書物を読んだり、映像を観たりすることは可能であろう。今思えば、あの期間は良い期間だった。あらゆる予定が白紙になった私は呆然として、現状を受け止めることで必死だった。書物に目を向けるも、文字が手から抜け落ちる感覚がした。

オンライン授業が始まる。パンデミックで対面授業ができないから、ショートエッセイを毎回の授業に課します、と言われた。文学の講義では、指定された文献を読む。図書館が開いていないから、Kindleで文献を購入した。電子書籍より紙の本がよかったが、仕方なかった。

ゼミでは、相変わらず論文提出が課されたが、オンラインのデータベースを用いたとしても、現代のテクストを取り扱う場合、デジタルアーカイブを駆使してもアクセスが難しかった。ここでも文献を購入し、できる範囲で考察を加えた。

高校生の時から興味があったテーマを取り上げたところ、先生や先輩から初めて褒められた。そのテーマであれば、楽しんで書くことができる。その目論見は合っていたようで、卒業論文も同じテーマで書いた。ちょっと広すぎたかもしれないが、誰も相手にしなかった一次資料の重要性を示せた点で、研究はうまくいったのだろう。

やっと研究の楽しさを知った。やっと、ほかの授業やほかの人の発表・論文の面白さを知ることができた。一つのテーマに根を張って、論を立てる。この試みを経験すれば、ほかの人のオリジナルな問いの面白さを理解することができるだろう。

大学院に入学し、授業の楽しさを知った。以前は、他の人の事例研究を聞いたとて、自分の研究に活かせるわけないだろう。そんな生意気な態度で受講していたが、今は違う。その先生がどんな理由で問いを立てたのか、それを知るのが楽しい。換言すれば、どこにその問いの意義を見出しているのかを知る過程が楽しい、ということである。領域こそ違うものの、その問いは尊い…。そんなことを思うと、周りの学生がみなラップトップを開いて別の作業をしていることが勿体なく感じる。面白いのに…。

あれ。既視感がある。かつての私もそうだった。
先生の言っていることが理解できなかったし、とりあえずレポートを出せば可の評価は出る。真面目に講義を受ける意味なんてない。そんな腐った態度で授業に出ていた。

レジュメに記載されていた参考文献にアクセスしたとて何も理解できない。今もそうかもしれないが、学部生の時は特にそれが学習の障壁であった。

断片しか読めない。つまり、本が読めない。
私が大学の学問をしばらくのあいだ楽しめなかった理由はそこにある。Twitterに熱を入れてしまったことも理由にあるだろう。ただ、もう少し私は理論の勉強をした方が良かったのかもしれない。(他責思考だが、学部の教養教育のカリキュラムにも問題があると思う。教養から専門へと橋渡しするプログラムは当時、存在しなかった。)

現代文の得点が高かったとしても、それは現代文という特殊な枠組みの条件下のことであり、文章を読む、とは違う。受験国語のゲームで勝てるだけ、と言っても過言ではないだろう。構造化して内容を把握せよ、何を言っているのか理解しなくてもいいから。この方法は、難解の書物を読む際に役に立たないとは言えないが、あまりにも淡白である。肝要な内容把握が抜け落ちしてしまっている。受験国語に毒された高校教師が「まぁ、文章中の二項対立さえ把握できれば大抵の文章は読めますから…」なんて戯言を言っていた。

そんなことなかった。全然読めない。何言っているかわからない。今もそう。断片的な情報しか掴めない。本を読める人が羨ましい。ただ、そんな人も本を読む練習を重ねてきたのである。

大学院試の面接で投げられた質問をいまだに考える。私の研究概要を見た某教員が言った。
「あなたは言葉について、どう考えていますか」
私の研究手法に不満があったから、投げられた言葉なのだろう。とりあえず言葉を取り繕って応答したものの、納得している様子ではなかった。

言葉が滑る。いまだにそう。文学をやっているというのに、横道を逸れてばかりである。一次資料や先行研究を大量に捌いて誤魔化している。そんな誤魔化しは通用しませんよ、と言われたようである。あなたの研究、無理がありますよね…。ついこの間の発表でも言われた。

つらつらと、私の学びの経歴について書いてきた。
こんなもんである。そこそこ研究はうまくいっているという自負はあるが、ちゃんと見れば欠陥ばかりの研究である。もっと腰を据えて本を読んでおけばよかった。

高校での学び、大学での研究との間の溝は大きい。多くの人は、この溝で歩みを止めてしまっているように思う。まずはそのギャップを理解することから…と思うのだが、どうやら人文学系統は高大連携的なことも後回しにされているらしい。そうでなくとも、人文学を学ぶ意義についてもう少し学生に共有されていれば…と思う。(できれば高校在学時に知りたかった。そうすればもっと本を読んでいたし)。

それでいえば、千葉雅也さんの『勉強の哲学』、高校生の時に読んでいればな〜と思う。人文学の勉強は、単に人物名を覚えて物知り博士になることではない。既存の思考の体系には回収しきれない事物を取り上げ、改修工事を行うことだ、と知っていれば、もっと意欲的に勉強できたのに。大学図書館という莫大なリソースを使い、体系を把握しとけばよかった。あと一年で大学を出る予定である。大きな後悔だが、大学を出た後もこの学びは続けていきたい。


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