いるだけでいい

今日は工房始まって以来の盛況だった。さすが元旦。

酒(泡盛残波・黒)をだいぶ飲めるようになった。昔はグラスにキャップ1杯の残波でほろ酔い気分になっていたが、いまはその数倍ついでも味が薄いと感じる。「薄い」と感じ、飲みつづけると、いい塩梅に酔う。今日は睡眠薬を飲んだかのようにどんどん瞼が重くなった。沖縄に来てから1日も「休日」というものがない上(「休日」と敢えて言うほどの日を作る必要があるのかというくらいぼくにとっては毎日が楽しいのではあるけれども)、夜のゆんたく、窯の番などをずっとしつづけているので、慢性睡眠不足になっているのは否めない。ああ、この調子で眠いままに眠ってしまおう、と思っていたところに、工場長がやってきて、「パソコンを教えてくださーい」と来た。これが工房で寝泊まりしている者のサダメ。大家族の中に育つ子どものようにプライバシーも何もない。Exelを使って商品管理をできるようにしよう、というビギナーにとってはとてもハードな課題を恥ずかしがり屋の工場長に出していた。

工場長までする人というのは、何でも器用だし、覚えも早い。

「昼のニラカナさんと夜のニラカナさんはまったく違うやーぁ」と工場長は言う。そりゃあ、大学で4年近くパソコンを教えていたのだから、教え方も使い方も、人並み以上にできる自信はある。そして読谷周辺ではにわかにパソコン教室が流行っているようで、そんな背景から、教室に通わずともパソコンを覚えられるということで、これはとてもありがたがられる。ぼくが沖縄に来てから工場長をはじめ4人がパソコンを買った。激しくガラス工房がIT革命を起こしている(笑)。あまりにもパソコンを持つ人が増えたので、工房内に無線LANを引こうという話も持ち上がっているほどだ。

パソコンを教えながら、ふと、思ったことがある。
人から頼まれたことは何でも喜んでやろう、ということだ。どうせ、東京から車を送ってもらうまではぼくの居場所は二つの工房のいずれかしかない。どうせ頼まれたらするしかない(笑)。だったら、恩にきせたり、いやな顔したりするのではなく、喜んで、楽しんで、人のために動こう、と思った。その方が自分自身、気持ちがいい。沖縄にいて感じるのは、それが「沖縄スタイル」だということだ。人のために喜んでしたことは必ず還ってくる。見返りを求めるのではなく、「幸せ」が還ってくる、というべきか。

そんな風に思いながら、丁寧にExelを教えていると、恥ずかしがり屋の工場長がしみじみと言う。
「今回ニラカナさんが沖縄に来て初めの頃、二人きりになったことがあったでしょう? ガラス工房で働こうかどうか迷っているとニラカナさんは言った。社長と友だちだから、友だちだからこそいい加減なことはできないなぁって。入るにしてもいい加減なことはできないし、入るということを言うことすらいい加減には言えないので黙っとくと。俺はそれを聞いて、もう絶対に入ってほしい、本当に必要だと腹の底から思ってた。もう、3年前、初めに来たときから、一緒にいてほしいなあと思ってた。それだけ待った。やっとニラカナさんと働ける。本当にありがたいし、嬉しいことです」
シャイで口下手な工場長がそんなことを言うものだから、ぼくもかしこまってしまった。
「ぼくはこの3年半、工場長、ガラス工房の皆に助けてもらってきたんです。東京にいても、皆とどこかでつながっていると思えたから生きてこれた。ぼくにとってかけがえのないものです。工場長との縁というものは本当にありがたいものです。ぼくこそありがとうございますだし、これからもっと頑張りますから・・・・・・」
と言いかけたところで、
「ううん、ニラカナさんはがんばらなくていい。いてくれればそれだけで本当にいいんだから」
と工場長は遮る。「いるだけでいい」、「がんばらなくていい」--たまらなく救いの言葉だ。このスタンスをずっととってもらっているので、ぼくはてーげーでいられる。黙っておくと根つめてオーバーヒートを起こすということもわかってもらえている。ありがたいなあと思う。

元旦にそんなやりとりをした。
東京に帰るというのはもうありえないんだろうなあと思う。また離れ離れになってせつない思いをするのはもういい。みんな家族だなあと思う。

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