沖縄在住の早稲田出身者の会を作る

1年前の今頃は沖縄を懐かしみ、沖縄にいた余韻でなんとか生きながらえていた。その沖縄が、いまは生活の場となっている。不思議といえば不思議なことだ。


ぼくを苛んだ病は、本当に自然な形で小さくなってきている。自分のなかでも、「もう大丈夫だろう」という思いが立ってきた。たまたまいまは受験シーズンであるが、この「もう大丈夫だろう」という感慨は、浪人生時代の、早稲田大学受験前夜を思い出させる。「これで終わった。この1年ぼくは本当に良くやった。大学には合格するだろう。しかし、なんとなく寂しい気もするな。ストイックにここまでがんばれた自分が自分で好きだな。ずっとこのままでいてもいいんだけど・・・・・・」、そんなことを考えていた。


双極性感情障害というみょうちくりんな病名をもらい、発病から4年半、ぼくは自分で自分を褒めてあげたいほど、病気とむかいあってきた。それは浪人生だったぼくが受験勉強に取り組むような感じと似ている。ときに切羽詰ってもいたけれども、馬鹿正直にやってきた。病気になるまで自分を追いやった人もいた。病気になってから追い討ちをかける人もいた。さまざまなものを失いもした。そのときにはわからなかったけれども、人生の地殻変動がそのときに起こっていたのだと、今ならわかる。必要なものだけが残り、必要でないものは消えた。そして必要なものと縁するようになり、必要なものが生まれた。長い長い人生の「浪人生活」を送ってきた果てにあったのが、「沖縄定住」という解である。


早稲田大学には、母校である、という以上の思い入れがある。沖縄にもまた、沖縄に住んでいる、という以上の思い入れがある。どちらにも共通していることは、自分の人生が開けてきたときにその二つがとても大きく影響しているということだった。

沖縄に定住することを決めたときに、してみたいことがあった。それは沖縄に関係している早稲田のメンバーの輪をつくり、交流をはかるということだった。そこから新しいなにかが生まれるかもしれない。そんな期待があった。そこで沖縄に住んでいる早稲田大学出身者に声をかけることにした。


果たしてこの会は関係者のご協力を頂いたこともあり、想像以上に参加率の高いものとなった。そのなかに、実に5年ぶりの大学の後輩がいたことがわかった。その彼のことを仮に、Mと呼ぶことにする。Mとは「文学」でつながっていた。文学とは? 人生とは? そんなことを5年前、やりとりしていたように記憶する。その彼が、ニラカナ=ぼくだということに気づいてくれた。気づいてすぐにメールをくださり、「会いにいきます」と言った直後に、ガラス工房に姿をあらわした。5年前東京の電車の中で会ったのが最後。それがいま、こんな幸せな形で再会できることになるとは想像もしていなかった。彼は沖縄で結婚もしており、美しい奥さんもいらっしゃる。東京で会っているときよりもずっと穏やかで幸せなやわらかさを彼に感じた。彼に沖縄はあっているし、沖縄が必要なんだろう、ということをしみじみと感じた。


M夫妻と沖縄で再会したということは、ぼくにとってかなり大きな出来事だった。少なくとも、これで沖縄に定着する理由がまた一つ増えた。早稲田つながり、文学つながりの仲間が沖縄にいる、ということの意味の深さを噛みしめる。理屈を越えて、ありがたいなぁと感謝する思いだ。何よりも、激務の隙を縫ってわざわざ読谷まで会いに来てくれたことが本当に嬉しかった。そこにいい空気が流れていた。幸せを感じた。



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