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ストロベリーフィールド:第十七幕 ウエストエンドの宝-②

図書館の前を通り過ぎ、道なりにまっすぐ進むと、沢山の木と生垣に囲まれたコテージが見えてきた。
ここに、ユラ神の末裔家族が暮らしていることをライラが知ったのは、村に来たばかりの日だ。

それはあのボバリー家の事件があった日だった。
ライラはあの事件の直前に、この家の娘を街で見かけ、自分の復讐が後押しされているような気がして鳥肌が立ったのだ。

そんな数日前のことを、ライラは目の前の小さなコテージを見つめながら思い返していた。

先週末、偶然見かけた大きな花束を抱えた娘の後をつけ、大きな屋敷へとライラは向かった。その時のライラにはまだ確信はなかった、が、その娘の持っていた花束から匂い立つライラックの香りが、十年の記憶を遡らせ、直感的に娘の後を追っていた。

あの日の出来事をひとつひとつ思い返しながら、ライラは長く息を吐いた。なんとか緊張を解こうとしてみたのだが、あの日の事を思うだけで鼓動は早くなる。

目の前に見えているコテージの窓灯りは、待てど暮らせど一向に点かないままだ。

今朝、パン屋のアミと会った時、ライラはこの事件の話を聞きながらも、自分がその日に見たことを伝えるのはやめにした。何故そこにいたのかを説明しなければならなくなるからだ。

あの日、花束を抱えたその娘が入って行った屋敷は、見たこともない位に大きな屋敷だった。一人息子の誕生会があるとかで玄関では多くの人々が荷物を抱えて並んでいた。

その時、屋敷の向かいの街路樹に身を潜めていたライラは、術でその姿を消し屋敷の様子を伺っていた。
十年近くもユラ神に仕えていたのだ、精霊使いとしてはいくつかの能力を身に着けていたし、何かを嗅ぎつける嗅覚はやはりユラ神の血を継ぐものに違いなかった。

花束を屋敷に置いて出てきた娘が再び姿を現した時、塀の脇の太い木の枝には、別の女の子がよじ登ってきているのがライラには見えていた。嫉妬と憎悪、それが何層にもなってその女の子の周りで渦を巻いていた。

その女の子を無視して、ライラは正門から出てきた娘の方を再び追おうとしたのだが、娘は突然、ひとりの老婆を見て突然立ち止まった。ライラには遠くから見てもそれが一目で精霊使いだと分かった。未来を見る力はなくとも、どんなに小さな精霊もライラは見逃さなかった。老婆の周りには怯える精霊たちが飛んでいたからだ。

精霊使いの老婆と暫く見つめ合った後に弱々しくふらふらと走り去ってゆく娘には、強い妖気が移り、重くのしかかっていた。娘の後を追い続けていたライラはその妖気に一瞬動きを止め、老婆の方を追うべきかと考えあぐねていたが、それから間も無くして乾いた音が屋敷の中で何度も響き始め、暗闇の中で出口へと殺到する人々で屋敷は大混乱に陥り、人の上に積み重なって人が倒れながら逃げ走る光景をライラは見ることになった。

この村には、何かが起こり始めている。

ライラはあの夜、そう直感した。

館の騒ぎが気にならなかったわけではないが、ひとまずライラは娘の方を追うことにした。

何せ自分は余所者だ。
どんな疑いをかけられるかわかったもんじゃない。

力なくふらふらと歩くように走っている娘には、ライラはすぐに追いつくことができた。
そうしてついに今目の前に見えているコテージへとたどり着いたというわけだ。

あの娘があの日、倒れるようにたどり着いたこのコテージの周りには、風の精霊たちが心配そうに中の様子を覗いていた。

そのコテージの前で、迷うことなく全ての精霊が眠りにつく呪文を、あの夜ライラは唱えた。四枚の羽根を広げて不安そうに飛んでいた見張り役の精霊たちは、ふわふわと力なく花壇の花の葉の上に横になった。

風もぴたりと止んだことを確認してから、ライラは姿を消したままでゆっくりとこの小さな家へと近づき、そうしてそこで、執念で追いかけてきたユラ神の末裔の姿を、十年ぶりに見ることになったのだか、それはライラの予想とはまったく違うものだった。

娘を招き入れる為、ドアに立った人物の姿を見てライラは想像以上のショックを受け愕然とした。
いくら遠目に見たとは言え、そこに見えていたものが、ライラが期待していたものとは大きくかけ離れていたからだ。

自分よりも幸せになっているはずで、憎むべきはずの従妹の姿は、気の毒なほどげっそりとやせ細っているように見えた。その足は、長いスカートでふくらはぎしか見えてはいないが、おそらくほとんど毎日家に引きこもっているような者の足だった。
追い続けていたそのユラ神の末裔の、かつて眩しいほどに輝いていたその美貌は今やどこにもなく、ブルーの髪もすっかり白くなっていた。

十年という日々が、自分の従妹の姿をここまで変えてしまったのかとライラは言葉を失った。

それに対して、ライラは怒りと恨みの中で必死で僅かばかりの術を学び、つたない術を補うために体力をつけ、痩せ細るどころか今や全身に筋肉が立派についている。

憎むべき末裔の姿が、ライラが祖国で最後に見たユラ神の姿にそっくりだったことが、ライラの心を更に激しく揺さぶった。

あの夜と違って今日のコテージに人の気配は無く、静かだ。

もう一度、コテージの周りをくまなく見渡しながら、哀れみの心に囚われそうになったライラは、首を大きく左右に振った。

それにしても、あれほど飛んでいた精霊たちが、どこにも見当たらなくなっている……。
おそらくどこかに匿われているのだろう。
あの夜飛んでいた精霊たちも恐らくあのハンナという子の見張りだ……。

あの老婆、あの娘に何をした?

ライラは怪訝に思いながらコテージの周りをぐるりと歩いて精霊を探したが、やはりどこもかしこも明るい朝日の下で静まり返っている。

まだ数日前のことなのに、この村に来てから突然全てのことが濁流となって押し寄せて来ているようで、ライラは正しい判断、今何をなすべきかに戸惑うようになりはじめている。

悪い記憶を振り払うかのように、ライラはもう一度、軽く首を横に張った。そうしてあの日の夜と同じように、コテージの裏側に周り、眼を閉じて今聞こえてくる音に集中した。

あの夜もここで聞き耳を立て、その娘がハンナと呼ばれていることをライラは知った。
そうしてユラ神の末裔ミチコが、ハンナという娘の妖気を術で払っている気配をライラは察知した。それはあの娘がお屋敷から持ち帰って来た、忌まわしい妖気だった。

あの祓いの術は、あの女がウエストエンドに来た時に、ユラ神様がミチコヘ授けたものだ。
あの裏切り者は、それを人々にではなく自分たちのためにだけ使っている。
そもそもユラ神の素質のない者が、なぜ後継者になれるんだ。

何故、私がユラ神になれないんだ!

あの時、ライラの心が激しい怒りと執着の炎に包まれた時、ふと、ミチコが窓の外を見つめた。

ライラは焦った。感情は妖力を弱める最大の要因だ。コントロールしなければ復讐は果たせない。その日一日中歩き回っていた身体は相当疲弊していて、感情のコントロールはいつも以上に難しかった。 

その後、ミチコとその娘であるハンナが、色鮮やかなステンドグラスの窓のある奥の部屋に入ったことを感じ取ると、後はライラは何も感じなくなった。

……部屋に結界が貼られている。
いったい何のために?

ライラにはひとつ思い当たることがあった。あの裏切り者がウエストエンドを離れてから、一族が大切にしていたユラ神の未来と過去の水晶が消えているのだ。

きっとこの結界の張られたステンドグラスの部屋のどこかに、あの水晶は隠されている……。

それからしばらくしてまた人が部屋を移動した気配を感じ、香ばしい香りがコテージの中から漂って来た時、ライラはトリーゴから言われた「今日の夜、店に来い」という言葉を突然思い出しそのコテージを離れることになったのだった。

とにかく、ここで生きられるようにするのが先決だもの。一番相応しい復讐の手立ては、じっくり考えればいい……。

そう自分に言い聞かせ、ライラはトリーゴのいる店へと走り、時間ギリギリに駆けつけた。
その後、無事にパン屋採用試験に合格したライラは、トリーゴの妻のアミが出してきた何かわからない甘い液体をしこたま飲んだ。そこまでは覚えているのだが、ライラにはあの夜のそこから先の記憶が無かった。

どうやらトリーゴの店のキッチンで眠り続けたらしく、今朝もアミがしつこくその話をネタにして笑っていた。ライラには何が可笑しいのか、さっぱり訳がわからなかったが、ともかくも帰るところがないのは不憫だと、隣の八百屋の叔父さんの倉庫に寝泊まりすることができるようになったのは幸いだった。

まったく、この村の人間は、人を疑うことを知らない……。

その日の記憶を手繰り寄せながら、瞼を閉じていたライラは、ほんの少し胸が熱くなるのを感じ、ぐっと目を閉じた後に、またゆっくり目を開いた。

今目の前にある朝のコテージは、まるであの日とは別の建物に見える。その裏窓からは何の気配もしない。ライラは諦めたように、前回と同じようにそこから離れようとしたが、後ろを振り返ると、深く長い息を吐いた。

「ライラ、あの可哀そうな子を、ミチコをどうか守っておくれ。お前にしか頼めない」

それが、ユラ神の最後の言葉だった。
その言葉を思い出す度にライラは言葉に出来ない感情に支配されてしまう。

それは、ライラには到底理解することのできない言葉だった。けれど先日目の前にしたその姿は、《可哀そう》という表現がまさにぴったりだったのだ。

あの輝きは、今、娘の方へと移っているのかもしれない。
ユラ神は、子孫が覚醒すると数年でその命を全うする。どこに逃れようとも同じなのだ。

あの娘の覚醒は近い……。

ただ、ライラにはこれからどうすべきかについては何も思い浮かばなくなってしまっていた。全てはあの気の毒なほど変わり果てたミチコの姿のせいだ。

今朝のコテージの前には昨日いた精たちの姿はなく、ミチコがいる気配もない。

まさか.また逃げたのか……?

十数年前、ユラ神の家にミチコが突然戻って来て、それから二週間後の新月の夜、国を守るユラ神の末裔であるはずの女は突然逃げた。

ライラはユラ神の家でミチコが消えた事実を知らされ、修行に耐えられず逃げ出したのかと思い腹の中で笑っていたのだが、その日のうちに、ユラ神様は東の果ての国の軍人に連れて行かれた。
ユラ神が守り続けてきた国境の結界が破られていたのだ。

ライラもまた、訳も分からず何日も独房に入れられた。何故結界が破られたのか、思い当たる節はひとつしかなかった。

数日経ってようやくライラが牢から解放された時には、ウエストエンドはグリーングラスの属国になっていた。ライラの一族は、家も畑も全てを失った。

ライラの父は、遠く離れた国で農夫として雇われ、ささやかな暮らしで満足することをライラに願ったが、ライラには復讐の炎を消し去ることなど決してできなかった。

自分の娘と孫だけを無事に国外に逃がし、兄弟、身内に何の相談もなく国を売ったユラ神に対して、ライラは失望と怒りの心が消えなかった。

どうして自分たちを助けてくれなかったのかと
責める心を持ち続け、どんなにひどい目にあっても、ライラは国から逃げることはなかった。

ウエストエンドで住む家がなくなっても、精霊の森で暮らし、一言ユラ神様へ罵詈雑言を浴びせるまではと耐え忍び、その帰りをひたすら待ち続けた。

けれど、ひと月後、囚われの身となっていたユラ神は、あっけなく帰らぬ人となってしまった。

それは、あの女、ミチコに全ての力が受け継がれていた、ということだ。

あの女は、一体何をしに戻って来たのだ。
国を滅ぼしただけではないか。
そうだユラ神様の予言の通りだ……。
呪われた子を連れ、国を滅ぼしにやって来た。
そして多くの術を身につけ、ユラ神の命ともいえる宝を奪って逃げた。
一体、ユラ神様は、それを判っていてあの娘を国に入れたのか?

振り返ったままコテージを睨みつけていたライラは、過去の憎しみの炎に焼かれるような怒りの気持ちを深呼吸してから抑え込み、踵を返してもう一度コテージの裏手に回り、ステンドグラスの窓の真下まで来た。

もしや、またこの結界の中にいるのか?

そこで、ライラは初めてあることに気が付いた。
よく見るとそのステンドグラスは七色の蝶が妖術で鎖のように繋がってできている。その妖術は、ライラが見たことのない類のものだ。

ライラは恐る恐るその窓に触れようと手を伸ばしたが、蝶の触覚が一斉に動き始めたのを見て、慌ててその手を引っ込めた。

何故、あのときこれに気づかなかったのか……。

ライラは考えた。
この妖術は、一体、誰がかけたのか。
自分が使うべき最も効果的な術は何なのか。

まず、あの老婆からだ……。


そうして、そこからすぐさまライラは南の島へと飛んだ。あの老婆が暮らすと言われている島だ。

予想通り、老婆の家の外には新聞記者たちがうろうろしている。そしてそこにも精霊たちの姿は見られない。

南の島フラワーバレー保管庫と書かれた小さな看板のついた小屋のような家からは、美味しそうなスープの香りがしていて、その香りを嗅いだ瞬間、そこにミチコがやって来ていたであろうことにライラは気がついた。

なにも情報を得ることのできなかった新聞記者たちは、『あれほどのけが人を出しておきながら、指輪の儀式をしたのか。何故引きこもったままで記者を無視するのか。やましいことがないなら、出て来て説明を!』と、家の外から声をあげ叫んでいる。

この老婆が怪我人を見捨てて何事もなかったかのように指輪贈呈式を行い、長男のレオにとんでもなく豪華な指輪を授けたと新聞には書き立てられていた。
とにかく何か批判しなくては気が済まないのだろう。

ライラは、祖国での最期の日々を思い出した。
ユラ神様は、人々がユラ神を煙たがるようになってからすっかり家に引きこもるようになり、それからは自分だけを頼ってくれた。

従妹であるユラ神の末裔ミチコは、あの頃はことごとく家事が出来なかった。
あの従妹が国に戻って来たわずか二週間の間に、ユラ神様は出来る限りのことを教えたいと言い、家のことは全てライラを見習ってできる限り覚えるようにとミチコに言った。

ユラ神としての術の全ては、ライラが家に帰った後、ふたりだけになってからミチコに教えていたようだったが、最期の最期になってもライラは、ユラ神の教えを直接伝えてもらえることはなかった。

そうしてその悔しさはやがて憎悪と嫉妬に変わっていった。けれどもライラがどんなにミチコにつらく当たっても、ミチコは全く弱音を吐かなかった。料理の腕は、瞬く間に上がり、特にユラ神の大好物だったスープはライラが作るものと変わらない出来栄えになっていった。
紛うことないそのスープの香りが、今、辺りに漂い、その香りが過去へとライラを引き戻し、怒りの炎を増幅させてゆく。

私の予想が正しければ、ここには今、きっとあの老婆ひとりのはず……。

ライラは、煮えくり返るはらわたをどうにか抑えながら姿を消したまま、記者たちの間をすり抜け、広い庭を堂々と横切ってパトラの家のドアを叩いた。

この怒りの炎が、今芽生え始めている憐憫の心を全て焼き尽くしてくれればいいのに、と、思いながら。

(第十八幕へ続く)


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