ストロベリーフィールド : 第三十一幕  ふたつの水晶

ハンナとハンナの母ミチコ、小さなレオは、その日パトラの家に留まることになった。

屋敷の外で騒ぐ記者たちがいて、外に出られないという事もあったのだが、ハンナの母ミチコの話によると、村にある屋敷は、結界のステンドグラスが破られ、家じゅうがめちゃめちゃになっていて、とても住める状態ではないということだった。

元々狭い空間でじっとしているのが得意なハンナとレオは、家に閉じ込められてもさほど苦痛ではなかったのだが、まずは村の掟に従って、レオの指輪に残った光る石をペンダントかブレスレットにしようというミチコの提案で、紐のようなものを見つけようということになった。

それからしばらくはパトラの家中で長い紐を探し回ることになったのだが、新しいゲームだと思っているレオは、楽し気にパトラの家を走り回った。紐の意味が分かっていないレオが持ってくるものは、ことごとく使えないものばかりだったが、レオは何度もいろいろなものを持って来ては、『これは何?』とハンナを質問攻めにした。

ハンナがパトラの遺品の中から、長さがちょうどよさそうな短いチェーンを見つけ、それを二重にしてレオの指輪を通してブレスレットにしようとレオの腕に通すと、それは不思議なことに蛇のようにみるみるその姿を変え始めレオの腕の上で緻密なレースのような模様を造りあげ、瞬く間に複雑な模様の黒のバングルが出来上がった。

中央には大きな赤い石が複雑な形ではめ込まれ、キラキラと光っている。
レオはそれを見て大喜びした。

パトラを失った大きな悲しみは、状況を把握できていない小さなレオの弾けるような笑顔に少しは救われていたのかもしれなかった。
それはまるでパトラが自分の代わりに残していった置き土産のようだ。
とても、手間のかかる厄介な置き土産だ。

けれどその笑顔は、パトラを失ってこれからのことを考えることのできないハンナの母にとっては、『これからのことを自分たちで考え、生きてゆきなさい』というパトラのメッセージのように思えていた。

レオの笑顔は、ハンナとその母ミチコの『この子を守らねば』という、決意のようなものへと変わり、寂しさを紛らしてくれる少しばかりの救いとなっていた。
もっと、簡単に言えば、目が離せない小さなレオの相手をすることは、悲しんでいる暇さえ無くなってしまったような状況を作っていたのだった。

ハンナはその後も、『もっとゲームがしたい、パンパスグラスに行きたい、空を飛びたい』と駄々をこねるレオを何とかなだめ、一日中レオの質問に答えるという過酷な時間を過ごすことになった。

恐らく、その赤い石にハンナが触れるとレオは蛟(みずち)に変わるのだろうという事がハンナには想像できたのだが、その後、いったいどうすればいいのかがわからないのだ。ハンナは、絶対にレオのバングルに光る赤い石には触れないようにしようと細心の注意を払っていた。

その間、ハンナの母はパトラの家の書斎で、持って来ていたふたつの不格好な物体を険しい顔でずっと睨み続けていた。それは、掌に載るほどの大きさだったが、安定感が悪そうな形をしている。

夜になり、お腹が空いたふたりには、ハンナの母ミチコお手製のドーナツとホットミルクが出された。チーズとコーンがたっぷりとのったドーナツと、ふわふわのココナツと砂糖にくるまれたドーナツだ。
お腹がいっぱいになると、流石のレオもようやうぐったりし始め、そのまま眠り始めた。

それを見たミチコは、ソファーにレオを横たわらせると、そのぽかぽかと温かくなった手を握り、『これは魔法をかけなくても朝まで起きなさそうね。ようやく話ができるわ』と、笑いながらハンナに手招きをした。

「久々の小さな子の子育ては堪えるわね。ハンナ、立派にお姉さんしているから、ママ驚いちゃったわ。
偉かったわね。今日一日、とても辛かったはずなのに……」

ハンナはそんなつもりはなかったのだが、褒められて少しうれしくなった。
ただ、何かをし続けなければ、パトラが消えたという現実に襲われそうに感じていた。

「……ねぇママ、それ、何?」

ハンナは、ミチコが睨み続けていたふたつの物体を指さした。

「これはねぇ、あなたのおばあちゃんから貰った水晶というもので、遠くの景色が浮かぶのよ。元はもっと大きかったらしいのだけれど……。
これを使えるのは未来を見ることのできるユラ神だけ」

そう言うと、ミチコはその紫色の方の物体を両手で包んだ。

するとそれは見る間に小さくなり、ミチコの胸元のペンダントにすっぽりとはまる程の大きさになった。
それからミチコはその隣にあった小ぶりな方の石を手に取った。

「それとね、こちらの小さい方は過去を旅する者に与えられるのだけれど、実は、ママもどうやって使うのかわからないの。
ともかく、これは、これからはあなたが持っていなさい」

ハンナに手渡された水晶は少し黄みがかっていて、ミチコの紫の水晶よりも随分と小さかった。ハンナはその石を人差し指と親指でつまむと、少し高く掲げて中を覗くように見つめた。

ミチコは、自身が身に付けているものとよく似た色違いのペンダントを取り出すと、ハンナの手からその水晶を取り上げて再び手に取った。

ミチコの掌の上で、その石は見る間に縮んでいく。
そうしてからミチコはその黄色の水晶をペンダントにはめ、ハンナの首に、そっとかけた。

ハンナはそれを胸の上で手に取った。そのペンダントの先端の石をまじまじと見つめたものの、ハンナの目には、やはりただの黄色い石にしか見えなかった。

「あの女の人が言っていたユラ神の命って、これのこと? 
ママに持って来させろ!ってすごく怒ってて、怖かった……」

「……きっとそうね。でもハンナ、『あの女の人』って表現は良くないわ。
あの人はライラおばさん。ママの従妹で、おばあちゃんのお兄さんの娘よ」

ハンナの頭はこんがらがったが、とにかく、遠い親戚であるようだ。

「じゃあ、なのに、なんで、あんなひどいことするの?」

ハンナの母ミチコは、沈んだ表情になり、ただ一言、『ママのせいなのよ』と言ったきり静かになった。

暫くの沈黙の後、ミチコは小さな黄色の水晶がおさまったペンダントを指さしながらこう言った。

「とにかく、これは、あなたが持っていなさい。
いい? ハンナ、今から、ママがやることよく見ていなさい」

ミチコはそう言うと、自分が持っていたペンダントから再び紫の水晶を取り出し両手で包んだ。するとその水晶は今度は見る間に大きくなり、両手では覆いきれないくらいの大きさになった。

ミチコが小瓶をポケットから取り出し、大きな紫の水晶の上にそれを振りかける。と、優しいライラックの香りが部屋中に広がっていった。
香りが広がると同時にミチコが呪文を唱え始める。

その大きな水晶の中に小さなスクリーンが幾つも浮かび出し、そして消えていく。映像は絵本をめくるように、パタパタと次々に変化していく。

ハンナは、その映像に目が釘付けになった。

ひとつ目の映像には、泣き叫ぶレオの姿が映っている。今ここで眠っている本物のレオではなく、名前のない偽物のレオの方だ。
大きなドアの前で『ごめんなさい、ごめんなさい』と泣きじゃくっている姿だった。

もう一つの映像は、ニーナのものだった。部屋の床に足を投げ出し、ベッドにもたれかかったまま、天井を見つめ呆然としている。
その目は腫れ上がり、相当泣き続けたであろうことが見て取れた。

いつも綺麗に結ばれている左右のおだんご頭は、片方だけ三つ編みがほどけていて、ウエーブのかかった金色の髪が顔の半分にかかっている。
それはそれは異様な姿だった。

その床には幾つかの色の石が砕け散っているのが映っていて、ニーナの指には、半分だけ石が残っている。精霊たちがニーナに授けたはずの石は、粉々になっているようだ。
指輪に残っている方の石は、恐らく割れることのない偽物なのだろう。

映像が切り替わると、書斎で電話をしているボバリー伯爵の姿が現れた。
かなり激高している様子で、すごい剣幕で話をしているのが分かる。

屋敷の中には他には誰もいないようで、そこにいて働いていた多くの人々は休みを取らされたのか、キッチンにもダイニングにもどこにも見えなかった。

屋敷の裏手では、ボバリー夫人が、ティーセットを前にして広い庭園で豪華なドレスを身に纏い、記者たちに笑顔を振りまき、写真を撮られている。
どうやら記者のインタビューに答えているようだ。

玄関の左手側に映像がうつると、裏庭の奥の方で白い煙が上がっているのが分かった。セバスチャンが多くの本を燃やしている。

玄関の左手奥にあったはずのニーナのペットの小屋は壊され、ロール状に巻かれた大きな芝生の塊が見えている。

これから、芝生でもひくのだろうかと、ハンナは怪訝に思った。
大きな正門の前には、馬車が一台止まっているのが見えている。

「この家はカオスね。ああ、いろんなものが混ざり合っててめちゃくちゃっていう意味よ。……誰も子供たちのことを見ていないわ」

ミチコがそう言葉を発した途端、水晶の中の映像はパタパタと閉じながら消えていった。
相当の力を使う作業なのか、ミチコはすっかり疲れた顔になっている。もう一度ミチコが水晶を手で包むと、水晶は再び見る間に縮み始めた。

それをペンダントに納めたミチコは、それを再び首からかけ、大きくひとつ、ため息をついてからハンナに向き直った。

「これはね、少しだけ先の未来なの」

「未来?」

「そう、これから間もなく起こること。だから、あなたには使えないのよ。ハンナ」

「私が見えるものは、過去ばかりなの?」

「どうやら、パトラの話が正しいとするならば、そのようね」

「そんなの……何の役にも立たないよ……」

「そんなことないって、パトラばあ様が、おっしゃっていたでしょう?
今は分からないかもしれないけれど」

ハンナは俯いた。

「それにね。未来が見えたところで、何もできないの。ママが水晶で覗けるのは、ほんの少し先の未来。おばあさまのようには上手くできないのよ。《予言》と呼ばれているものは、目の前に広がるスクリーンで見える未来だけれど、それがいつ、どこで起こるかもはっきりとはわからない……。
見たことがある景色があれば、何となくは想像できるのだけれどね。
どうしてこんな力を与えられたのか、ママは何度もこの力には意味が無いのではないかと随分悩んだわ……」

ミチコは、そう言うとハンナを抱き寄せた。

「けれど、ね、今日、初めてこの力を役立てた気がする。あなたを見つけ、パトラばあ様を送ることが出来た。多分この力は、他の人のために使うためのものだったのかもしれない。今更だけれど……」

ハンナは、自分の胸に光るペンダントを見つめた。

≪どうやって使うものかわからなけど、これも人のために使うものなの?≫

ライラックの香りが消え、ミチコが淋しそうな微笑みながら立ち上がる。

「明日はボバリー家へ行かなければね。ハンナ、《経験者》になれたこと、おめでとう。って、言っていいのか分からないけれど、精霊使いの私たちが、精霊に選ばれたのだとしたら、それはとても大きな意味があることだとママは思っているわ」

そう言うとミチコは辺りを見渡した。

窓から外を覗くと、誰一人、そこにはいなくなっているようだった。
記者たちの騒ぎ声も聞こえてはいない。もう何も起こらないことにがっかりして立ち去ったのかもしれなかった。

すっかり日が暮れていて、新月の景色は、これから始まる映画のスクリーン画面のように真っ暗だ。

「まだ、パトラばあ様がおうちのどこかに居そうな気がするわね。寝る前に、大切なことをお話しておくわ。百年前の戦いのお話よ」

そう言うと、ミチコはパトラから聞いたという話をハンナに話し始めた。


第三十二幕へと続く


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