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スターまる 制作前夜

解説いらないでしょ…→解説してみよう に変化

漫画作品『スターまる』を描いている。誰にも頼まれてない。漫画を描くのは、小学生で星のカービィドラゴンクエスト二次創作に始まり、中二病で「登場人物全員が不幸な生い立ちを持っている」という、お約束な漫画や小説を一生懸命描いて以来。

『スターまる』はファンタジーコメディを意識している。コメディだから、少女主人公の、世界のかなしみを全部自分が背負っているかのような態度を、楽天的な「星」が程よい距離で見守っている、という対比を意識的に出している(技術的に出せているかどうかは別)。

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私はあと一歩でアラフォーに突入するという年代のため、実際に10代だったときの悩みや、苦しみを俯瞰で観られるようになったし、ある程度のことは笑い飛ばせるようにもなった。今だって、そうかんたんに笑い飛ばせないような出来事に出会うことがあるけど、状況がひどいほど、どこかコミカルに思えてしまう自分もいる。そのうえで、〜20代前半の子どもたち(20代前半は、まだ子供である。)の精神的、社会的な戦いに対しては敬意と愛情も芽生えている。

ともあれ、作品は作品として、ファンタジー世界を味わっていただければそれでいいから、解説はいらないと思っていた。でも、ベースにしている世界観が、日本人にはまだ馴染みが薄い・あるいは誤解の生まれやすい聖書からモチーフを多くとっていることと、本作を掲載しているnoteという媒体にはエッセー色が強い側面を感じ、読者に対してコミュニケーションを創出する部分があってもいいような気がしてきたので、解説も置いておこうと思う。

ファンタジー創作ではなく、コミックエッセイが発端

長期で在宅ワークとなっていることもあり、2021年4月に、会社からお許しをもらい、東京から札幌に一時帰国させてもらっているのだけど、あまりにも精神的に気分が悪く、Youtubeで精神科医の解説動画などをなんとなく観ているうちに、『発達障害』というものを知った。

自分にも共通点があるように感じ、札幌のクリニックでテスト(開始から終了まで6時間くらいのもの)を受けに行き、発育歴やテスト結果から、自分にもその傾向がありそうで、ただ、一度のテストでわかることには限りがあるので、長期間のカウンセリングやデイケアを経て、確定診断に至ると説明を受けた(この部分はクリニックごとの方針によると思う)。

正直なところ、テストを受けて、結果が出て、それでスッキリできると思っていたので、確定診断を受ければ障害者手帳が申請できることや、今まで感じてきた「生きづらさ」「失敗のパターン」を解消するためのプログラムがある事や、それを受けるか否かについても、なんの準備もできていなかった。なんなら発達障害自体、つまりどういうことを言うのか、そのときはよくわかっていなかったので、そこからが新しい戦い・迷いの始まりだったように思う。

プログラムというのは、約3ヶ月間、平日の9時から5時で参加しなければならないもので、基本的には発達障害がベースになって社会に適応できないとか、二次障害としてうつ病や適応障害を発症し、退職を余儀なくされた人向けに組まれているようだった。プログラムに参加するかどうか熟考する間、隔週ペースでクリニックに通院して様子を見ることになった。

体調自体は、その時最悪と言っても良くて、家族からは、「プログラムを受けるかどうかは別として、抗不安薬的なものは、とりあえず処方してもらったほうが、ひとまず楽になれるんじゃないか」と言われていた。

クリニックの先生からは、「仕事があって、ご飯が食べられて、睡眠が取れていたら、それは病気ではない」と言われた。年齢に見合った立場や収入という観点は置いておくとしても、そのすべて、客観的にはなんとなくできていた。病んでないのに、苦しい。それが私が物心ついてずっと、付き合ってきたものだった。
クリニックにも色々あると思うけれど、心療内科も、他の胃腸科とか耳鼻咽喉科とかと同じく、診察室に入った、そのとき、客観的に観て社会生活に支障をきたしていると判断できる人のためのものなのかもしれない。いや、もっと診察室で能動的に自分のことを訴えたほうがいいのかもしれない。しばらく悶々とした日がつづいていたが、私はそれ以来、クリニックに行くのをやめた。それでも、発達障害について調べて、行動の傾向を知り、環境調整をするだけでも楽になることはあったし、努力だけでは良くならないことがある、そこに注意を向けられるようになっただけ、病院に行ってみてよかったと思った。

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私の頭の中は起きている間じゅう、悩みも嬉しいことも、過去の映像も再生され続ける。それに振り回される。それが普通だと思っていたけど、そうじゃない人生もある、とこの歳になって初めて知った。少しでも頭の中を整理するために、ノートに自分の今までの行動や、困ってきたことなどを、文字やイラストでなぐり書きしていった。それがその時の精神安定剤だった。

思春期が激しかった

10代は、具体的に何ってことないけど、とにかく体の中に、暴れまわる塊があり、それを吐き出すために感情的にも、行動的にもいろんな事をした。

幸か、不幸か、私は15歳にして美術とデザインの専門教育を施してくれる学校に入学した。だから、変わっていることがある種のステータスで、かっこ良いと思ってしまう側面すらあった(実際は、学校である限りは普通ぅ〜に卒業していくに越したことはないと思う。私は結局退学した)。

『スターまる』の話の始まりである、「女の子が宇宙から落ちてきた星を飲み込む」というくだりは、激しい思春期を言葉で説明するなら、宇宙から降ってきた異物を飲み込んでしまったような苦しみ、というのを、物語的に表したかったから。(あとは、宮崎駿監督の『ハウルの動く城』の影響も濃い)

星のキャラが固まったところで、話を完結させられた

そんなわけで、実生活のできごとや考え事を漫画にしたコミックエッセイをつくり、その箸休めのスピンオフとしてファンタジーを差し込む…みたいな構想のもと、話を作り始めた。

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でも、キャラクターをなんとなく設定して、動かし始めると、当初は少女の体の中で暴れまわって、彼女を苦しめる・・・というような設定にしていた星を、物語としては、彼女を守り導く聖なる光、というようにしたほうがしっくりきはじめた。人間の中の闇に飲まれることがない、星の強さを強調し始めてから、星に引っ張られる形で、少女も生き生きと動き出した。物語全体が固まりだす頃には、コミックエッセイは辞めにして、ファンタジーの物語の完成度を高めることに集中したほうがいいと思い、おおまかなプロットを完成させた。

同時に、そうすることで、私の日常においても、物語の世界が、回り続けて止まることがない思考の拠り所になり、物語自体を勝利に導くことで、自分の苦しみにも意味を与えることができていった。今まで、思考が勝手に動いてしまうのを止めることに人生、エネルギーの大半を費やしてきた気がする。多分それは投薬とかじゃないとムリなんだろう。だったら、せめて止まらない再生機に乗せるレコードは、自分にとって心地良い、ポジティブなもの、作品という形として残るものにしよう、そこに集中しよう、という考え方に変わっていった。

また、私が唯一頭の中が完全に静かになった経験、学生時代に、一本の線を引く完璧さを求めているときにだけ、沈黙の世界に入ることができた、という経験の、その先を見られるならみたい、ということも思い出し、なおさら熱中し始めた。

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キャラクターのモデル

CLIP STUDIO PAINT に慣れるために、ツールの設定を固めながらキャラの設定資料も作った。フルカラー漫画なので、先にメインのカラーセットまで作成した。

まる_キャラデザ

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★少女・マル・・・自分自身の少女時代がモデルなのだけど、ストーリーを動かしていくため、あまりにも抽象的な話にしないために、少女をより魅力的にして、かつ喋らせる必要があった。マルほど、かつての私は外の人に向かってちゃんと喋った記憶がない。コミュニケーションは成立してたはずだけど、自分の話が伝わっている実感を得たのは30歳過ぎてからな気がする。ボールはできるだけ豪速球で投げ、投げっぱなしにしたい。それが20代までの私だった。

ヨナキャラデザ

星・ヨナ・・・星のモデルは2つある。
一つは聖書の神学による、『天使論』のなかから学んだ、「天使とはどういう存在なのか」ということである。天使も人間と同じく、神様による被造物だけれど、神様の御心に従うことを喜び、聖らかさの確定した存在で、罪を犯すことがない。
もう一人は、私の友人で、クリスチャンではないけど「へこたれなさ」では一目おいている人である。また、「人を信じる気持ちの強さ」も私より遥かにあるきがしている。ヨナが行き詰まったときに、それでも信念に踏みとどまる強さを発揮する感じ、楽しいことに共鳴してどんどん元気になっていくかんじは、友人をモデルにさせてもらった。

タイトル

00_第一話見出し

ファンタジーコメディなので、できるだけ力の抜けた、でもインパクトのあるタイトルがいいな思った。が出てきて、主人公がマルで・・・スターまる・・・そのまんまやないかいってところが気に入っている。
さらに、花マルの星バーションであることにも、設定後気がついた。花マルより弾けた雰囲気。なおさらお気に入りになった。

タイトルロゴデザインは、「宇宙っぽさ」「ポップさ」を目指しつつシンプルに作った。

サブタイトル

スターまるは、ストーリーを動かしていくときに聖書のエピソードを借りている。だから、サブタイトルは聖書の言葉(聖句)からできるだけ取りたいと考えている。「星は苦くて甘い」は、「ヨハネの黙示録」からの引用である。ヨハネの黙示録は、怖くて深くて重い印象があると思うけど、実際は輝かしい書だと思っている。

神様の言葉は、耳に心地よいところ、口にして喜ばしいこともあるけれど、み言葉への忠実さには厳しさも伴う・・・というような意味合いを含んでいる。

[ヨハネの黙示録 10:9〜10] 
私はその御使いのところに行き、「私にその小さな巻物を下さい」と言った。すると彼は言った。「それを取って食べてしまいなさい。それはあなたの腹には苦いが、あなたの口には蜜のように甘い。」
そこで、私はその小さな巻物を御使いの手から受け取って食べた。口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

「神様の選び」という考え方

物語の前半のマルはまだ救われてはいない。
しかし、「神様があらかじめ選びだした者である」ということを、星を飲み込むことで表現しようと思った。

[ローマ人への手紙 8:28〜30]
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 許諾番号4-2-3号

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聖書の物語を、創作に織り込む

スターまるの世界を作ることは、聖書の世界観や歴史感から、私が学んだことの実践だと思っている。

そのために、聖書が示しているルールはできるだけ遵守したいと思っている。例えるなら、「サッカーをゲームとして成り立たせたければ、ボールを手に持って走ってはいけない。ゴールポストの内側にシュートを決める。」みたいな共通ルールを踏まえた上で、自分なりのゲームを作り出すという作業になる。

私にはベーシックな聖書の知識があり、これからも学び続けて行くけれど、神学者や、誰もが認める神学生ではないので、わかっていることには限界があり、間違うことがあるだろう。それは聖書が不完全ということではなく、私自身が未熟だからだ。

なんちゃって宇宙科学

スターまるには「星」や「宇宙」がモチーフとして出てくるので、自分なりに調べたことを物語に織り込んでいる。

スターまるが物語として形を持ち始めたとき、直径が地球の11倍ある木星や、私達が子供の頃は「惑星」だったのに、気がついたら「準惑星」になっていた冥王星の話がなんとなく耳に入ってきていて、子供の頃に親が話してくれたアレンジ昔話に胸を踊らせた記憶が蘇ってきた。親しみやすいアレンジ童話・豪華版。そんな感じで物語を作りたい。

スターまるには聖書の物語をちりばめていくという作業が一つの柱としてあり、また子供であっても自分の人生の管理者である限りは障害を乗り越えていかなければいけないという厳しさを表したい話なので、ガス抜きのようなエピソードもできるだけ入れていきたい。

一応、調べられる限りのことは時系列も整理しながらファクトをとっているけれど、なにか間違っているところがありましたらお手柔らかに・・・。

ポケ○ンやドラクエ、アップルのパロディなども盛り込んでいるのは、普段からそんなオヤジギャグレベルのことが頭に行き交っていて、道を歩きながらでもニヤニヤしてしまうのである。全然面白くなかったらごめんなさい。

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