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コロナの生活:日常とは、本来なにげなく地味なもの

コロナで原則外出が禁止され、臨時休業のお店も多くなりました。
いま外出と言えば、生活用品を購入するための買い物くらいでしょうか。
今私達の周りからは、これまで生活の「ハナ」や「刺激」になっていモノが確実に減っていると思います。

そんな中、そういう「ハナ」や「刺激」が日常に本来必要だったのか?と思うことがあります。何気ない日常について考えました。

日常とは、本来地味なもの

コロナの自粛によって、私の周りからも華やかな広告や、ショーウインドーやおいしい外食。。。そういうものが姿を消しました。やっぱり物足りなさ、みたいなものを少し感じます。
だけど、そいうものが本来に必要だったのか?とふと感じました。

それらは、私たちの心を楽しませてくれたり、欲を満たしてくれたり、癒してくれたりします。だけどそれはもしかしたら「日常」には必要ないのかもしれません。たまにあるから楽しめる、楽しませてくれる、そういうものなのだけれど、自分も含めてあまりに日常化していたような気がしています。
本来日常とは、多分もっとありきたりなもの、地味なもの、言葉はよくないかもしれないけど、本来そいういものだって今思わされています。

身近な小さな幸せを見つけることが求められる


そういうものが減った今、私たちはより身近なところでの、小さな幸せを見つけることが求められている気がします。
例えば外食はできなくなったけど、自分で作ってみる体験とか、少しうまくいった喜びと。。今までは浴びれなかった昼間の太陽を浴びてみた気もちよさ、とか。。
これまでは気が付かなかった「小さな幸せや気づき」を感じるようになることがこのコロナ期間をうまくのりきるコツかもしれません。
コロナをきっかけにそういうものに気づく機会を与えられているような気もします。

大変なこともたくさんありますが、身近な小さな幸せや気づきをハッピーに変えて、前向きに生きていきたいですね。


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