神の挑戦事 自分自身のこと

難題に挑戦したら困難な時もあると覚悟するんだ。
難題を避けてはいけない、難題を歓迎する。
それは神からの偉大なギフト、人生の中でするべきことが出来る栄えある機会だと考える。

困難にぶつかった時、相手を敵だの対立相手だのと考えないように努力すること。

どんな努力をするの?
努力というか好きに捉えればいいだけだ。
困難の意味があらかじめ決まっているように感じても、それを自分に押し付けないようにする。

困難とは自分を成長させる為の機会であり、成長には欠かせないモノなのだと捉える。

全て事象は自分の色眼鏡を通して判断しているに過ぎない、自分の見たいように物事を捉えているに過ぎないのだよ。
だから敵を見つけた時には、それは自分自身だということを強く理解しなくてはいけない。

それが自分自身であるならば、難なく受け入れることが可能だ。下手に拒否しようとするから無駄に労力を使って避けようとするし、辛い思いをする。

全て災難を厭うことなく軽く受け入れて、楽に問題解決を求めて動き出すこと。人生を楽に動かすんだ、抵抗する必要はない。受け入れてあげるだけ。

どんな人もどんなことも敵ではなく、問題だとも思わないこと。

全ての問題は本当の自分になるためのチャンスなのだよ。ピンチはチャンスだ。
君の認識を変えるだけで、全てが良い方向へと動き出すことが分かるだろうよ。

世界の悪と呼ぶものを非難してはいけない。
非難した分だけ自分にその負のエネルギーは跳ね返ってくる事になる。投げた石はそのまま自分に返ってくるのだよ。

非難するよりも、自分はそれに関してどこを悪と判断しているのか、その問題のどこを変えたいのかと自問することにエネルギーを使うと良い。

自分の内に向かって「この災厄を前に、今自分は何を体験したいのか。自分のどの部分を引き出したいのか」と問いかける。

人生の全ては、自分自身の創造の道具。
出来事の全ては、自分は何者なのかを決定し、その自分になる機会を与えるためにある。

ひどい目にあうのは何かのせい、誰かのせいだと考えている限りは、それをどうすることも出来ない。

被害者意識を持つと誰かを傷つける方へとばかりエネルギーを向けがちになるし、問題の解決策を外部からのみに限定して求めようとする。

全ては自分の責任だと言った時初めて、本当の意味で変えることができる。
自分が変われば誰かが変わる、誰かが変われば世界が変わる。

真理を常に求めなさい。自分事として出来事を捉えなさい、そうすれば全ての答えを自分自身の内から得ることが可能になる。

自分がしている事を変える方が、他者がしている事を変えるよりずっと容易なことである。

何事をも変える一歩は、選んだのは自分だと認め、受け入れることだ。

間違っているからではなく、本当の自分にふさわしくないという理由で、変化させる。
ある行動を拒否する理由も、それが自分にふさわしくなくなったという理由だけ。

正しい自分を示したいのなら、世界の中に映し出したいと思う自分にふさわしくないものは全て、変えていくように努力する。

何かをする理由は1つしかない、宇宙に向かって自分が何者であるかを示すこと。
神に誓って自分が何者であるかを示すことだ。
ありがとうございます。

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