偶然は無い だが必然とも呼ばない

悟りとは? 
悟りとは無我の境地に至りこの世の幻想にただ気付く。何も非難することなく受け入れながらも、何物にも依存しない。
幻と共に生きている体と意識を認識し続けて瞬間に自分を創ること、また自らが事象の引き起こす全てそして起きた全てであることを認識する。
自他の境を取り払い、常に世界そのものであることを選択すること。
世界とは全であり一であり集であり個。
しかしこれは言葉で説明することではなく、体感していくモノである。
それでしか世界を知ることはできない。
恐怖に飛び込むとはそのことであり、誘われているのだよ。

自我は慣れないことを恐怖だと考える、何かと理由を考えては拒否する。変化を恐れる。
その反面、魂は常に新鮮な自分を表現したがる。
瞬間毎により良い自分を創造したがっている。
多数の瞬間が折り重なる現在の中で「自分はいま何が出来るか?何がしたいか?」と内側に問いかける。
集中して答えを受け取る。そこに思考は挟まない。
感情がどう動くのかをキャッチする。
その感情こそが「あなた」だ。
不安もあなた、嬉しいもあなた、まずは本当のあなたを抱きとることから始めよう。
一つとしてこの世に不要な思いは無く、一つとして特別な思いも無いからね。
総和として感情こそが愛であり、不変の事実。

数多く展開する時(過去,未来)をどう展開させていくのかは現在の役目である。
過去のことに人は気を取られがちだが、そこから何かを得たならばもう離れた方がいい。
もちろん全てが君を創り出す為の壮大な機会なのは間違いない。
しかしいつまでもそこにいたって、何かを変えることのできるこの現在を無駄に過ぎ去らせてしまう。
良い記憶でさえもそこばかりに停滞していたら、現在の浪費になるよ。
壮大なゲームを楽しめるのは現在なんだ。
何故ならば現在以外に時は無いから。

ふと目に入る景色を捉え逃さない。
耳に入る音の中に、君を助け出す救いの手があるかもしれない。
知らない場所でさえ知っていたかのように感じたり、会ったばかりの人に懐かしさを覚えることもあるかもしれない。
どんな感情でさえもグッと捉え、味わうことを勧める。
どんな事にも偶然は無い。だがそれは必然とも呼ばない。自分以外の誰かによってその出来事が作り出されたのではない。
それは君が中心の世界の中で創り出した、君が中心だからこそ存在する、かけがえのない財産だということ。
その財産の価値を決めるのはあなたであるし、あなたにしか決められない。他の誰かには決められない。だから、あなたにとって最高に価値あるモノならばどんなことでも自信を持って受け入れたらいい。逆に価値のない出来事だとしたら被害者意識を持つことなく、その出来事は新たに自分を創り出す為の栄えある機会だと捉えたい。
全ては君が中心の世界の中で起きることなんだ。
よりポジティブに、より創造的に取り組む方があなたらしいのではないか?
ありがとうございます

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