子供の教育において実践するべき二つの基本的なカリキュラム
先日知人と話していて、自分のしたいことがより明確になった。それはやはり教育だ。学校を作りたい。
したい理由は、もちろん使命感もあるが、何より自分が楽しいからだろう。何が楽しいかというと、そこで自分が成長できるからだ。人間は難しい。スキルがないと、なかなか上手く対処できない。その上手くできるスキルを、学校を作ると育めるのではないかと思った。
また学校を作ることには、そこで育った生徒が将来自分の居場所を作ってくれるという利得もある。先頃元プロ野球選手の野村克也さんが亡くなったが、あらためて認識させられアタのは、彼がプロ野球界に張り巡らせた教え子の多さだ。
野村さんには無数の教え子がいて、そのほとんどが肯定的に思い出を述べていた。彼は生前、いろんな球団を指導者として渡り歩いたが、その過程で実に丁寧に人を育て続けていた。それが今、方々で芽吹いているので、彼を慕う蜘蛛の巣のようなネットワークが、プロ野球全体に張り巡らされているのだ。そうした存在は他にいないだろう。
人は、年を取ると教師という生き方を選択する(せざるをえなくなる)ようプログラムされているのだろう。そう制度設計されているのだ。自分が持っている知識や技術を後輩に受け渡す。そうすることで、死ぬまでの自分の居場所を確保できるし、人類全体の利得にもつながる。
では、ここからは少し思考実験をしてみたい。先日、ぼくの有料メルマガに「自分の子供を小学校には行かせないつもりなのだが、どういう教育をしたらいいか」という質問が来た。この質問をくれた方は岩崎夏海クリエイター塾の塾生でもあるので、ぼくはよく知っているのだが、そのことも踏まえ、どう教育したらいいのか少し具体的に考えてみたい。
まず、学びの最も基本的なカリキュラムを考える。パッと思いつくのは、以下のものだ。
旅行
読書
物作り
運動
遊びを作ること
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