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検査やエビデンスは絶対正しい?

例えば発達障害を例にとってみると、今現在いくつかの心理検査が存在していて、それを受けて発達障害と診断された人たけが「障害」と認定されるという考え方があるよね?
その他にも脳の検査などをいくつも受けさせる病院もあるらしい。

そういう現状を踏まえてなのか、「検査を受けてはいないけど、専門医に発達障害と診断された人」は発達障害ではないという意見があるようですね。

でも、専門医であれば、ある程度の回数面談すれば、発達障害の有無は概ねわかると思うし、逆にわからないなら専門医とは言えないと思う。
ただし、発達障害がスペクトラム症であることを考えると、グレーゾーンの人が希望して検査を受ける意味はあると思っている。

これは発達障害を例に取っただけで、どんな病気や障害も同じことが言えると思う。今の医療者や患者はあまりに検査結果やエビデンスに囚われすぎていて、それ以外のことを否定しがちな傾向にあるのが気になっているところなんです。

意外と知らない人が多いのではないかと思うけど、例えば血液検査ひとつ取ってみても、同じ機械または同じ外注先(一般のクリニックは大体検査結果を外注してる)での複数回の比較でないと正しい結果は出せないって知ってた?
血圧や体温ですら、そう。
でも、みんな色んな病院で受けた検査結果とかをごっちゃに見て、一喜一憂してたりするでしょ?

特に腫瘍マーカー(簡単に言うと癌の血液検査)なんかは、専門機関に外注するんだけど、その検査機関によってかなりの差が出るんだよね。

発達障害だって、同じ検査を受けているようでいて、そこの病院の医師や心理士の判断とかによっても左右されるので、全く同一ということはあり得ないということなの。

どうしてこんな話をしているかと言うと、今の検査結果やエビデンスのみを重視しすぎる医療体制やそれに迎合する人達は、病気や生物としての人間の「あはひ(物と物との交わったところ。重なったところ。境目のところ。)」のようなものを簡単に切って捨ててしまい、そのことによって、「ないこと」にされて苦しんでいる人達が少なからずいるから。。。


例えば、今だったら「コロナ後遺症」がその顕著な例だと思う。
実際にコロナ後遺症で苦しんでいる人達がいるにも関わらず、大抵の医療機関では「ないこと」にされてる。既存の検査結果で異常が出ないからという理由だけで。

線維筋痛症や慢性疲労症候群なんかも、今でこそ多少の認知度は出てきたけど、まだまだ詐病扱いされることもあると聞く。
でも、今の検査でわかること自体がほんの僅かでしかないし、医療や科学でわかっていることもこの世の全ての現象から考えたら、本当にちょっぴりだ。

せめて分からないことを分からないと認める謙虚さを持ち合わせることが、医療や科学にとって重要なのではないか。

全てはそこからしか始まらないと思うから。