虹が_

ユーモアは残るんだ。

昨日の昼、名古屋から飛行機に乗って、博多にやって来た。

あっという間の空の旅。
窓から見える景色を楽しんで、読書をして、ちょっと寝て、キャビンアテンダントさんに起こされたら、もう着陸していた。

その後は、同じく名古屋から来ていた母と合流し、寿司をご馳走になり、宿泊先である母の実家に向かう。

母の実家には、祖父と祖母と伯母が住んでいる。
いつもにぎやかな三人が、この日もにぎやかに迎えてくれた。

祖父は九十歳をこえて、いろんなことを忘れていた。
ぼくのことも「誰や?」と覚えていなかった。

そうではないかと聞かされていたが「おじいちゃん」と思っている人が自分のことを知らないというのは新鮮だった。

忘れられることは、もっとさみしいものかと思ったが、むしろ気楽な感じがした。

祖父は、妖精のようにあどけない人になっていた。
先日、石切で橋本久仁彦さんが「自分をやめていくこと」について語っていたけれど、そんなふうに祖父は祖父であることをやめていっているように見えた。

ただ、残っていたものがある。

それは、ユーモアだ。

「ここにいたら、仲間外れにされて、きゅーっとなるけん」

と言いながら、祖父はみなの笑いを誘った。
そして「おしりぺんぺん」と自らお尻を叩いて寝室に入っていった。

もともと祖父は明るい人柄だったが、孫の記憶よりもユーモアが残る事を知って、なんだかいいなあと思った。

もっとも、祖父に残ったのは、ユーモアだけではなかった。

夜、祖父は起きてきて、部屋の見回りをした。
そのときには、恐れの混じった疑り深い表情になっていた。その祖父と話すのは、ちょっとこわかった。(なにしろ、ぼく自身が一番の不審者のはずだから)

ユーモアと不信感。
対照的な祖父をみたが、苦しそうには見えなかった。

そして、笑いながら付き合っている祖母と伯母の存在が、祖父を健やかにしているようにも見えた。

今日は朝から「どこいくとや?」と何度も尋ねながら、祖父は病院に出かけていった。再三の確認ができる家族がそばにいることは、祖父にとってとても心安らぐことなんだろうなと思った。

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