だるまさん

だるま。

ねぇ のびちゃん。
ダルマさんて えらいね。
なんべんころんでも、
泣かないでおきるものね。

『ドラえもん』の中に「あの日あの時あのダルマ」というエピソードがある。のび太がちいさい頃、おばあちゃんと過ごした思い出の話だ。

庭で転んで泣いている幼いのび太に、おばあちゃんが声をかける。

「さ、ダルマさんもおっきしたよ。のびちゃんだって、ひとりでおっきできるでしょ」

すぐに立ち上がり、あわてて近寄るのび太。

「おきてきちゃだめ。病気なのに」

おばあちゃんは病床の身なのだ。

そして、ふとんに戻って、冒頭のセリフの後、おばあちゃんは、のび太をこう諭す。

のびちゃんも、ダルマさんみたいになってくれるとうれしいな。
ころんでもころんでも、ひとりでおっきできる強い子になってくれると……おばあちゃん、とっても安心なんだけどな

「ぼく、ダルマさんになる。やくそくするよ」

幼き日ののび太は、はっきりとした表情でそう答える。

場面は展開して、現在ののび太。
逃げ回っていたテスト勉強に向かいながら、こう話す。

「ぼく、ひとりでおきるよ。」
「これからも、何度も何度もころぶだろうけど……。」
「かならず、起きるから安心しててね、おばあちゃん。」

僕はこのエピソードが大好きで、事あるごとに思い出す。

思い出すのは、もちろん転んだときだ。
失恋したり、仕事がうまくいかなかったり、ケンカをしてしまったり。

僕はまわりから「うまくいっている」と見られることが多い。
でも、実際には何度も何度も、目も当てられないほど転んできた。

その転んだ過去をすべて並べて「だからお前にはできない」と言われたら、ぐうの音も出ないほどに。

でもね、そのたびに起き上がってきたんだよ。

だるまのように。

人は多かれ少なかれ、同じように七転び八起きしているのだと思う。
僕には素晴らしすぎるように見える、あの人でさえ。

だから、もし、一度、二度、三度と転んだことをあげつらって、自分や他人の起き上がる力を奪おうとするのなら、人に未来なんかない。

大事なのは失敗や成功ではなく、起き上がったことそのものにある。

「ころんでもころんでも、ひとりでおっきできる」

それは子どもだけでなく、僕たち大人にだって大事なことだ。
大事なことはそれしかないだろうというくらいに大事なことだ。

だるまが転んだとき、その転ぶ様を嘲笑し、否定し、二度と立ち上がれなくしようとする輩が、僕の内側にいる。たぶん、あなたの中にも。

でもね、だるまってぇのは、起き上がるもんだ。
そして、人間もきっとそうなんだ。

なぜ起き上がれるのか。

そこには希望があるからだと思う。支えてくれる人たちがいるからだと思う。うまくいった過去だってあるからだと思う。明日の自分に期待しているからだと思う。

夢があるからだと思う。来週のジャンプが読みたいからだと思う。おなかが空いたからだと思う。そう信じたいからだと思う。

転んで、起きる。

その運動の中で、人は育っていく。
器が大きくなり、たくましくなる。

「かならず、起きるから安心しててね」

その運動は止めることはできない。自然そのものだから。
それを不自然な考えによって止めようとするならば、吹き飛ばされるのが関の山だ。

っていうか、そんなの、ぶっ飛ばす。

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