平成最後の日

平成最後の日。

あまのじゃくは、みんなが言うようなことを言わないようにする。

たとえば「平成最後」という言葉が連呼されていると、そっとそれを避けたりする。僕もその一人だった。

そんなふうに「平成最後」がそこらじゅうに氾濫するのも、今日でおしまいだ。

だって今日は、本当に平成最後の日なのだから。

平成元年、1989年に僕は12歳だった。
ちょっと小利口な小学生だったと思う。

それから中学生になって受験にのめり込み、高校入試、大学入試、夢と魔法の王国で社会人になって、会社員をやめてニートもやって、平成最後の日、僕は41歳になっていた。すごいね、30年って。

住むところも、毎日通う場所も次々と変わり、ものすごい数の人に出会った。結婚もした。

当時、小学生だった僕は、いまこんな生活をしているなんて思いもしなかったと思う。もう少し渋みのあるおじさんになると思っていたんじゃないかな。

でも、変わっていない部分は30年経っても変わっていない気がする。小利口で言葉に偏りがちなところとか。

そして今日、僕は平成最後の起床をして、平成最後の児童館に出勤した。
変わったことと言えば、カップ麺をはじめてつくる女子学生がいたことぐらいで、あとはいつもと変わらない、ふつうの児童館だった。
明日は令和初の児童館だけれど、きっとふつうの児童館だと思う。

他にしたことといえば、フェイスブックでこの先の催しのお知らせをしたことぐらいか。YouTube のライブ配信の機能が必要になったので、チャンネル登録の協力をお願いしたら、一気に20人近くが協力してくれてうれしかった。

帰宅してから、天皇陛下のご退位の儀式を見た。
日本はど真ん中に祈りや神話を宿している国なんだな、と改めて思った。

ふと興味が湧いて、過去の天皇陛下のことを調べてみると、明治天皇のお父さん、孝明天皇の時には黒船、安政の大獄、禁門の変、明治天皇の時には大政奉還、戊辰戦争、西南戦争に日清・日露戦争、大正天皇の時は第一次世界大戦、昭和天皇の時に第二次世界大戦と四代前まで戦争だらけだ。

平成天皇の三十年、日本はずっと戦後であり続けた。
そして、皇后さまとともに仲睦まじく、厳しい自然災害の時などは国民とともに心を痛めていらした。これ以上ない「象徴」であったと思う。

平成天皇の周りにはいつも静けさと穏やかさがあった。
令和の時代にも、同じような、いや、さらに静かで穏やかな安寧がおとずれるといいなと思う。

敬意を損なわないためにどう言ったらいいのか分からないけれど「本当にお疲れ様でした」という気持ちで平成最後の夜を過ごしている。

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