ゆず

ゆずへの手紙。

本当のファンからしたら、僕はそれほど「ゆず」ファンとは言えないかもしれない。

でも「夏色」「栄光の架橋」「雨のち晴レルヤ」といったヒット曲は耳にしているし、それ以外の曲もずいぶん聴いたり、歌ったりしてきた。ライブにも行って、楽しい思いをさせてもらった。

桜木町で弾き語りをしていたところから、あれよあれよという間に人気者になり、紅白出場、ワールドカップや朝ドラのテーマソングと大きな仕事をものにしていく好青年のお兄ちゃんたち。

それが僕にとっての「ゆず」だった。

だから、

ゆずから今後の活動について重要なお知らせがあります。
発表日時は12月19日(水)21:00。

というネットニュースを見たとき、少なからず動揺した。
というか、解散報道であることを覚悟した。

それが「弾き語りドームツアーの宣伝だった」と知ったとき、僕はこう思った。

つまんねーーーーーーーー!!!

そして、憤慨した。

発表の様子を報じた記事には、こうある。

 午後9時過ぎに薄暗いスタジオに2人が登場すると、北川がこれまでのゆずの歩みを振り返り、「2019年、ゆずとスタッフとともに話し合い、僕たちゆずは大きな決意をしました」と神妙に説明。重苦しい空気も流れたが、弾き語りドームツアーの開催を発表するとスタジオの照明も明るくなり、スタッフからも大きな拍手が巻き起こった。

「神妙に説明」していたということは、分かっていてミスリードしていたということだ。ファンが僕と同じように解散や活動休止を思って心配することを。

まずは、そこに腹が立った。
音楽家というのは、音を奏でて、人の心に触れることが許された職業だと思うからだ。その心をこんなふうに弄んでいいはずがない。

二つ目は、この企画のつまらなさについてだ。
たしかに、エンターテイナーは人の期待を裏切ることで成り立つ職業ではある。でも、それをするならばそこには「面白さ」がなければならない。

今回の「裏切り」は、特になんのひねりもない。それどころか親がお葬式ごっこをして子どもを泣かせるような幼稚さがある。ちっとも面白くない。

これは、本当にファンを喜ばせるためのものだったんだろうか。なぜ、宣伝担当のスタッフはこれを「ゆず」に提案したのだろう。そして、「ゆず」はなぜこれにオーケーを出したのか。

基本的に僕は「ゆず」の大ファンというわけでもないから、こんなことはどうでもいいことだ。それでも「信じがたい」という気持ちになるのには理由がある。

僕は一度だけ「ゆず」の二人に直接会ったことがあるからだ。

それは2009年、当時、所属していたNPOが関わっていたイベントでのことだ。

国連UNHCR協会が難民支援のために横浜でライブを開催する。音楽をテーマにした僕たちのNPOはその運営を担っていた。そして「ゆず」の二人は、その活動の公式アンバサダーだった

運営の中心メンバーだった大学生たちは、ゆずの「はるか」という曲を唄うことになっていた。その練習をしているところに「ゆず」の二人が現れたのだ。

好青年だった。キラキラしていた。「ありがとう」と言いながら、うれしそうに未熟なところも残る大学生たちの歌を聞いていた。

僕にはその印象が残っていた。「ビジネス」のための「営業スマイル」と割り切るには、あまりにも本当に見えた。というか、本当でないなんてみじんも思わなかった。

人は、たった一つのことでそれまでの信用を台無しにすることができる。今回の件は、それに値するくらい稚拙だったと僕は思う。これが仮に「ビジネス」で「営業」的なものだと捉えているのだとしたら、ビジネスにも営業にも失礼だ。

そして、こうも思う。
こういう稚拙なことをしてしまうとき、人はどういう状態にあるのかと。

答えは簡単だ。

疲れているのだ。

ここからは単なる憶測にすぎないけれど、好感度の高い「ゆず」をやり続けるのは、おそらく相当にきついことなのではないか。

ファンは好青年であることを求める。けれど、ひとりの人としてはそういう面ばかりでないことも知っている。

だから闇が溜まる。本来はそれを歌で昇華すればいいのだけれど、ビジネス的には、そんな曲は求められていない(と思ってしまう)。

まして「ゆず」は巨大な産業になっている。もはや二人だけのものではなく、多くのスタッフの生活も支えている。そんな中で「ゆず」を壊すようなことは怖くてできない。

闇は行き場をなくす。はけ口であるはずの音楽を封じられながら。

もし、そうだとしたら、相当に疲れることだろうと思う。自分の歌を封じられながら、歌わなければならないのだから。

ヤフーニュースでは、昨晩深夜

「ゆず“重大発表”に賛否の声『活動休止じゃなくて安心』『弄ばれただけ』『笑えません』」

という記事が上がっていたが、今朝になって

「ゆず・北川悠仁『どっちか死ぬまでゆず』“重大発表”の内容にファン安堵『心配した』」

という記事に変わった。ここにも「ビジネス」が働いているのかもしれない。

「ゆず」を殺さないために。

ファンは優しい。おそらく今回のことも「心配したよ」と言いながら、水に流していくのだろう。

でも、そうしたアーティストとファンの親密な関係が、人の心を殺している可能性があるのではないか。

そう思うと、北川さんが口にしたこの言葉も違った響き方をしてくる。

「我々ゆずはどっちか死ぬまでゆずなんで」

僕の書いていることはファンでもない人間の憶測にすぎない。
でも、それがいくばくか当たっているのだとしたら、本来、ゆずのお二人がしたかった「重大発表」は、本当に活動休止だったのではないかと思う。

いきものがかりが「放牧宣言」をしたように、ゆずもちょっと休めたらいいのにな、と勝手ながら思っている。

もともとの、自然に好青年だった頃に戻れるように。
「なんだ、嘘じゃなかったんだ」と本当の意味で安堵させられるように。

夕焼け染まる 風に吹かれて立ち止まる
同じ地球(ほし)のどこかで
この空を君も 見ていますか
(ゆず「はるか」より)

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