未来人からの挑戦状。
「男の中にも女性性がある」
と聞いたのは、いつの頃だったか。
はじめて聞いたときには、本当に驚いた。
生まれてこの方、僕は自分を男性だと思ってきたからだ。
でも、そう言われると納得のいくこともある。
例えば、僕は女性の話を「要するに」とまとめて怒られることがまずない。『話を聞かない男、地図の読めない女』という本があったが、どちらかというと、話は聞くが地図の読めない男だ。
そうこうしているうちに、女性装をする教授さんの話やLGBTといったテーマも目にするようになった。そのたび「男性」「女性」というくくりが揺らぐ驚きがあった。
で、今日、この記事が目に留まった。
男性性の本来の役割は、女性性から受け取ったエネルギーを光に変えて放つことである。
女性性の本来の役割は、ソースからエネルギーを受け取って喜び、そして希望でいること。
女性(性)は、天とかソースとかいろんな言い方があるけれど、とにかく人ではなく「どこか」からエネルギーを受け取って喜ぶ。
そして、男性(性)は、女性(性)からそのエネルギーを受け取り、それを光に変えて放つ。
この男女のパートナーシップの状態については、この一年で急に見聞きするようになった。さながらキン肉大神殿の壁画に描かれた「キン肉族三代奥義」マッスルスパークのように思えている。
で、そのマッスルスパークを完成させると、こうなるらしい。
男性性と女性性が本来の役割に戻る時、私たちはごく自然な流れの中にいることができる。
自分で船を動かす必要はなく、ただ舵を取ることだけが重要なのだ。
その舵取りさえも、自然の一部として行われるため、本当に”自分だけで”やらなければいけないことなど、何一つないことになるのだ。
おお、すごそうだぜ。
ちなみに、わが家はというと、いまのところ、そうなっていない。
マッスルスパーク開発のために、キン肉マンがテリーマンに未完成の技をかけてズタボロになったような段階にいる(ような気がする)。
それにここでは「男性と女性」ではなく「男性性と女性性」と言っているから、奥さんとのことなのか、自分一人のことなのかもややこしい。もう見た目じゃわからない。
また、いずれにしても「そうでなければならない」と思うと窮屈になる。
それでは「男なんだから」「女なんだから」と個人を抑圧したかつてと同じになってしまう。
ついでに言えば、僕は「男が『男になる』とき」というワークショップを開いているが、この観点からすると「男」の定義も揺らいでくる。
はー、大変だ。
最近、身のまわりでは、LGBTの話に加えて、発達障害に関する話題も増えてきた。それらはいずれも人の多様さへの理解を求めているように思える。
共に生きていくために、僕たちは「あなたがだれなのか」をより深く知り、寛容の器を広げていく必要に迫られている。
で、これね、僕は未来人からの挑戦状みたいに思えているんです。
だって、変だもん。こんなにいっぺんに常識がひっくり返るの。
生物はもともと変化を嫌うから、こうした移行期の混乱は誰でも嫌なはず。
でも、それを超えてでも見せたい景色があるから、いま、こうしてそこここで「わたし」に関わる難題が噴き出しているんじゃないかなって。
だから、これは「我こそが新しい」とだれかが先んじて威張るようなことではなく、移行期のしんどさを分かち合って進んでいくしかないのではないかと思えている。
そう思うと「男が『男になる』とき」も男性(性)の持つエネルギーとつながることで、男性が自らを癒し、より「わたしになる」ことに近づける場、と言えるのかもしれない。
なんか、そのうちタイトル変わりそうだな。
と、女性性多めの男は思う。
ミルクたっぷりのコーヒーみたいやね。
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