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道は一本じゃない。

進路相談とか進路指導がはじめてあったのは、中学生の頃だったか。

その頃は内申点や偏差値からどの学校に行くかが自動的に決まって、「進路」は、ほぼ一本道だった。二つか三つ選択肢があったにしても、次は高校ということに変わりはなく、大学受験においても同様だった。

大学四年で就職試験になると、急に選択肢が日本の全会社に広がったが、「会社に入る」という意味では一本道だった。迷いながらなんとか意中の会社を決めれば、あとは採用されるかどうかに一喜一憂するだけだった。

それから二十年経って、いまの僕の「進路」は、自分だけで決めるものではなくなっている。

パートナーである奥さんの人生が関わるのは当然だが、それだけでなく、行く先の職場や土地、あるいは家系の、先祖代々の意思のようなものも関わっている感じがする。

見えている人、いない人、すべてをひっくるめた人の思惑が重層的に響く中で、自分の「立ち位置」と「役目」が決まる。その役目を果たせる方角に進路を定める。このときの「進路」は、たくさんの海流が集まる潮目のようだ。その潮目を「縁」というのかもしれない。

いまもまた、縁の集まった潮目に立っている感じがする。
新旧たくさんの人たちの思惑が波紋のように集まった先に「こっちに行け」と言う意思を感じる。

そのように誰かの意思を尋ねながら人生を航海するのは、流されているように見えるかもしれないし、実際、流されているのだけれど、なんだか楽しい。流されてみることで、これから出会うたくさんの未知に対して、自分だけで決めた時には見出せない意味が現れてくるからだ。

一人じゃない旅だから、意味がふえる。
一人じゃない旅だから、安心感が増す。
これは格別にうれしいことだ。

今日も、奥さんの人生に新たな意味が現れた。
お互いの不安や怖さ、重苦しさをたどってみなければ分からなかったそれに触れたとき、空気が一変するような強烈なインパクトがあった。

「なるほど」と喜びながら、こういうことがあるから人生って面白い、と思った。そして、こういうことがあることは、進路が一本道で、自分一人で生きていると思っている間は決して見えてこないのだ。

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