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成長源


「自分の一番近くにいる5人、その平均が自分」

大学生活を通して一番近くにいてくれた友人が教えてくれた。"類は友を呼ぶ"とは少し違ったニュアンスを感じて、4年生になった今、大学生活を振り返ってみると確かに納得した。


大学1年生、サークルに入って仲良くなった6人組。ずっと一緒にいて楽しいことだけを追い求めてきた。田舎から東京に通っているわたしとは違って、都内に住んでいた友人たちはどれだけ楽に、楽しく生きていけるのかをよく知っていた。真面目に生きてきたわたしにとっては新鮮だった。学校の授業や課題はできるだけ楽に上手できるか、そうやって過ごしてきてわたしの頭は空っぽに近く、物事を深く考えることは少なかったと思う。もちろん成績は落ち込んだけど、それでも楽しければいいと思っていた。


わたしに友人の平均が自分だということを教えてくれた友人は同じ学科の子。わたしがサークルの子たちと一緒にいて"楽しければいい"と上部だけの授業に参加しつつも、本当は何処かで大学では何がしたかったのか、このままでいいのかという焦りがあったのだと思う。サークルの友人が一緒ではなくなる学科の授業では、なかなか深く関わることのなかった人たちの中でそんな不安定な心境のまま座っていた。たまたま近くに座ったその友人は、私とは違って学科の授業の中でもさらに興味の持てることにアンテナを立てていたのだと思う。分からない部分を先生に聞いたりするような真面目な子に大学に入ってから初めて会った。高校の時の自分のようで、いつの間にか親が私の勉強のために大学に行かせてくてれいること忘れていた、と思った。本当は大学での勉学へ関心を向けたかったのだと。


サークルもやめ、留学をし、就活、卒論、今までこれらの道を通って私自身の内面が大人になったのかもしれない。周りの人との距離感も変わった。人見知りなりにたくさんの人と交流して得た物が大きいのだろう。一番近い距離の5人の平均、その5人も環境によって変わっていくもので、受ける影響も変わっていっている。


コロナ期(まだ続いているが)で特に感じた私の内面的な成長。サークルの友人たちとは確かに人数が多くて会える日程も少ない。だが、私にとったら就活を終えた状況で自粛要請が出ている中、会いにいくのは違う。地元では祖父母との関わりも多い、家族の仕事も多くの人と関わるもので影響しかねない。8時に閉まってしまうお店が多い中、「時短要請を、8時閉店を無視しているお店に行こう」というその子たちの言葉が衝撃的だった。自分たちは感染しない、今もしていないという確信があるような会話が続いた。結局、私を除いたみんなでお店を選んでご飯を食べたらしい。今までの私であれば、1人行かないことで疎外感を感じていたかもしれない。今回ではそんな気持ちにはならなかった、ただ私は間違ってないと思う、私は目の前の楽しみだけでなく他も見られるようになったのだと自分の考えは大人になったのではないか、と思えた。とても個人的な感覚だけれども。


学科で仲良くなったその友人は就活を一緒に乗り越えた。同じものを目指しているわけではなかったが、なんの抵抗もなく自分のesを見てもらったりできるくらい心を許せた。いつも学ぶことが多くて、いちばん尊敬しているのは「気になったことに対して実際に行動に移せること」。私はいまだに時間が無くて終えられていないが、その友人に感化されて興味を持った分野の資格試験を申し込んだ。大学の勉強とは別に、将来について深く考えて、自分の興味関心に敏感に新たなものに手を出していく勇気が私にはなかったから。時間がないから、今は急がじいからと後回しにしてしまう癖。

その子が来月に留学に行ってしまう。やりたい分野を勉強しに。就活中の私も一瞬は考えた留学。でも、とみんなと同じような就職というレールに安心してその上に乗っかって諦めた。外国語をもっと勉強したい、将来やりたいことに近づくことができるような武器を揃えたい、と私もまだまだあるのに。近くにはいられなくなってしまうが、挑戦していくその友人がまだまだ私にとって5人のうちの1人でいてくれることを願っている。少し先の未来を考えてワクワクしていられるように、挑戦していけるように。

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