巡り合って夫婦となったのだから…
昨日の学びから。
色々な縁があって、巡り合った二人。もっと楽しく過ごせる夫婦が増えたら、本当にいいな。と思っています。
そういう夫婦が1組でも増えるように。
一度離婚して思うこと。
夫婦としてすべきこと何もしていなかった。
もっと出来ること、やるべきことがあった。
その気持ちがお互いにあったから、また結婚した。
それでも、それぞれの思いの方向は違っていた。
ワタシは、いい夫、いい父親でありたいと思っていた。
それは、ワタシの家庭に対してではなく、
世間一般でのいい夫、いい父親。
家事をなんでもこなせる、何もしない夫を持つ、周りの奥さま方からすれば、いい夫にみえる。そんな夫を目指していたのかと思う。
妻がもし、周りに話せば、「いい旦那さんねー。」と言われるようなところだろうか。
でも、ワタシの妻が求めている夫ではなかった。
それは結局、独りよがりの家庭をみていない夫。
周りの目を気にする夫。
そんな夫の目は家庭に向いていないとも言える。
「こんなにいい夫をしているのに」
今では笑えるほど、可笑しな夫。
認められず、
妻からは無言で
「そうじゃねーんだよな」と言われていたような気がする。
どうすればいいんだ?
どうすればいいんだ?
どんどん深みにはまっていく。
もがけばもがくほど抜け出せなくなるような。
考えてばかりいても、何も変わらないことを学んだ。
当時は知らなかった言葉。
でも、やっていたことは同じ。
"今出来ることから始めなさい"
この言葉は、何か立ち止まった時に度々思い出す。
その時、ワタシが出来ることをした。
「遠慮することをやめること」
ワタシの勝手で離婚したこともあり、
常に負い目を感じていた。
これはワタシが勝手に作り出したもの。
やらなきゃ。やらなきゃ。と同時に、
いつも"罪悪感"も抱いていた。
この負い目は、今ならわかるが、わかりやすく言うと「なんかムカつく」
相手からすると、「そんなつもりないんだよな」が積み重なって、腹立たしく感じる。
これは、自分はそんなつもりなくても、相手を不快にさせる。そこまでされたくない。
でも、ワタシは常にそれがあった。
相手だけではなく、ワタシも心地よくなかった。
だから、遠慮することをやめた。
何が正解は全くわからないが、それがその時出来る、精一杯のことだったと思う。
相手にどう思われるか、心配で不安で、怖くて、妻を恐ろしく感じた。
(そんな人ではないんですよ。当時のワタシが作り上げていた妻です)
何よりも、失敗して、またダメになることの方が怖かったかもしれない。
やめてどうなったかというと、罪悪感は減り、様々な抵抗感も減り、何より家で過ごしやすくなった。少し楽に過ごせるようになった。
自分が背伸びをせず、偽りなく出来ることから、また始めた。
頼ること、任せること、信じること。
土台の部分。
相手を信頼することともに、
自分への信頼も。
順番を間違えていたのだとも思う。
自分への信頼が欲しいがために、そればかりを求めていた。
自分への信頼は、相手を信頼することから始まるのだと思う。
自然と得られるものでもある。
求めよ。さらば与えられん。
(正しい意味はわかっていない)
から
与えよ。さらば与えられん。
でもなく、
与えよ。与え続けよ。
なんだと思う。
見返りを期待しているうちは、まだまだだと周りの方々をみて痛感する。
素晴らしい方々に恵まれている。
自分自身の持つ、相手に対する思い込みを一つずつ外していく。
これが夫婦で楽しく過ごすために、ワタシが実践していること。
本当に楽になりました。
再婚する時に誓った言葉は
「夫でありたい、父親でありたい、家族でありたい」
今でも考える。
自分で誓った言葉の意味。
相手に誓ったようで、
自分に誓った言葉。
この誓いが、ワタシのスタート地点
家族と楽しむために使わせていただきます。日常、非日常を味わうことで、ワタシの記事が作成されます!